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clm.305:その片鱗を私は見た

現行経済は、ある程度楽しかったかもしれない。でも、その百倍いや千倍楽しい新たな経済が、確かにある。

私はその片鱗を、新たなLLCが雨後の竹の子のように現れる1990年代のシリコンバレーで垣間見た。いや、つぶさに見た。

早朝の夢の中で、30年前出張の帰りにサンフランシスコ空港の土産物店で購入した左掲マップが鮮明にイメージされた。あのときのワクワク感を記憶更新しようと思い立ち、記事にした。

20220927追記:innovationは予定調和では起こらない。だからformal economyでなくinformal economyの中でのみ起こる。

clm.304:co-sovereignty(拮抗併存主権)

昨日紹介したco-sovereign(拮抗併存主権者)という新概念の出典を見つけた。左掲論文集:Nonprofits and Government: Collaboration and Conflictの第四論文「Tax Treatment of Nonprofit Organizations — A Two-Edged Sword?」 Evelyn Brody and Joseph J. Cordes。(目次はここ

なお本書は和訳本が、2007年ミネルヴァ書房から出版されている。(ここ、ただし原英文初版(1999年)の和訳。第二版(2006年)、第三版(2016年)の和訳は未完。)

原英文の中のco-sovereigntyという用語が出てくる部分は、Google Booksで以下の様に読むことができる。半訳して掲載する。

税免除が或る種の助成を表したものであったとしても、やはりそれは曖昧で不十分な助成を生み出すに過ぎない。しかし興味深いことに、この様な非営利セクター税優遇は、国家および地方政府が持つsovereignty(主権)に関する連邦税制ルールに似ている。JCT [1996](米上下両院税制合同委員会1996)でさえ、非営利、国家、地方政府を、併記すること無しに一括して扱っていた。また、the federal income taxでは、「全てのpublic utility(公共的効用)即ち全ての基幹的政府機能行使から導出される所得、あるいは、州または州下部政治機関における発生金額」(IRC sec. 115(a))を、gross income(税引前所得)から除外している。州および地方自治体が資金を得ようとして債券を発行する場合、その利息は債券保有者において税免除の対象となるのが一般的である。国家への支払金、および、地方所得税と地方資産税としての支払金は、連邦課税所得額から控除される。ただし、それら行政機関のサービスのuserとしての使用料は、連邦課税所得控除の対象とはされない。また既に記したように、これらinter-government tax一つ一つはその都度、慈善活動の税優遇に類似して優遇される。非営利セクターは、the public sectorが持つco-sovereignty(拮抗併存主権)を真に享受している、という強い主張は確かに誰もしないだろう。なぜなら、非営利セクターには主権者が本来持つ強制力・強制執行権が欠落しているのだから。しかしながら、この様なtax frameworkには、非営利セクターをinviolate(神聖不可侵)なself-governing(自治)に委ねようという感覚が伴っている。と同時にgenerally obligating charities(一般宗教的義務としての慈善)を、政府に助成金を請願する手間から遠ざけようとする感覚も伴っている(Colinvaux第六論文参照方)。

20220923追記:「全てのpublic utility(公共的効用)即ち全ての基幹的政府機能行使から導出される所得」と和訳を訂正した。無冠詞publicはgovermentalを指し示し、the publicはnon-profit sectorを指し示しているという対比が上掲パラグラフの背景にある。このことが明確になるようにした。

clm.303:co-sovereign(拮抗併存主権者)

Tax and Government in the 21st Centuryつい先日、読みたい本がまた出版された。Tax and Government in the 21st Century, Cambridge Univ. Press,  Miranda Stewart著。特にその第8章「Tax, Charities, and Philanthropy」はとても読みたい。その概要を半訳しておく。

Summary of chapter 8, Tax, Charities, and Philanthropy
Tax law constitutes the boundaries of charities, the market and the state in a ‘jumbled mixed economy’.  Charities are a subset of the broader not-for-profit sector, sometimes called the ‘third sector’ to distinguish it from the market and the state.   The charitable tax exemption discussed here sets the border of the tax state with the charitable sector, while its political, or ethical, justification recognises, as Evelyn Brody suggests, that charities are in a sense ‘co-sovereign’ with the state.2

第8章「Tax, Charities, and Philanthropy」概要
租税法は、(訳補:本来は境界がハッキリしない)a ‘jumbled mixed economy’(ごった混ぜ経済、出典1)の中に、charities, the market and the state(慈善経済、市場経済、国家経済)の区分境界を設定しようとする。 charitiesは、より広いnot-for-profit sectorの部分集合の一つであり、時にはこのnot-for-profit sectorが第三セクターと呼ばれ、市場セクターとも国家セクターとも異なるものとして区分される場合もある。従ってここで議論されるthe charitable tax exemption(慈善活動税免除)は、Evelyn Brody が指摘するように、its political, or ethical, justificationが、charities are in a sense ‘co-sovereign’ with the state(或る意味、慈善活動は国家に並ぶ‘co-sovereign’(拮抗併存主権者)である。出典2)と認める一方で、他方ではthe charitable sector(慈善セクター)にthe tax state(徴税権を持つ租税国家)としてのborder(国境)を設定していることになる。

20220921追記:co-sovereignの和訳を「拮抗併存主権者」に変更した。

clm.302:覆いの下のrealityをのぞき見る

無冠詞realityとは何か。物理学者が一般向けに解説したテキストの出版が続いている。ペンローズ、ロベッリ、グリーン・・・。その中でもこの本、Ten Keys to Reality『仮題:realityへの10個の鍵』は、著者・内容共に「白眉」かもしれない。

2004年ノーベル物理学賞を受賞し、2008年には形而上界での存在(being)を論じたThe Lightness of Being『物質の全ては光』を出版したフランク・ウィルチェックが、2021年1月に出版したこの本は、小さい頃はカトリック教育を受けたという彼の生い立ちも相まってか、宗教と科学のバランスがとても良いように私は感じる。

現に、「宗教におけるノーベル賞」と言われるテンプルトン賞を、2022年5月に受賞した。

受賞を記念してL.A.Times誌がこの5月にインタビューした記事を見つけた。本の内容を垣間見るには絶好と思うので半訳した。宜しかったらご覧下さい。

clm.301:ability to organize and carry out creative alternatives

一昨日開催した分科会でのO氏のコメントは衝撃的だった。「二頁目の原英文の最下部にあるto不定詞は、to organize and carry out creative alternativesという具合に二つの動詞を含むんじゃないですか?」 アッその通りだ! 急転直下! まさに「目からウロコ」

ここでフランシスコ教皇は「an organizationを設立し創造的代替策を実行する(to organize and carry out creative alternatives)ための能力の内、関連する法律が整備されそのlegitimacy(法律的正当性)が認められ一般化された能力(ability)」、即ち、「近年西洋社会で関連法律整備が進んだpartnership組織を設立し運営するability」について言及しているんだ! 

つまり「人類の未来の命運は、皆さんが持つability、即ち、partnership組織を設立し運営するabilityに託されている」と。

先の「開催通知および配付資料」の配付資料の該当部分を上掲のように訂正し、rev.11とし、添付し直した。既にお読みいただいた方は、もう一度お読み下さい。

とても重要な部分を、私の読解力不足のために見落としていた。ゴメンナサイ。訂正してお詫び申しあげます。

clm.300:新に、公理の一つが見つかったのかもしれない

もしもabc予想が「真」だとするならば、realityには宇宙際タイヒミュラー(IUT)理論というan axiom(一つの公理)が組み込まれているに違いない。

これが望月新一さんが主張したいことなのだと、左掲の番組「数学者は宇宙をつなげるか?」完全版 (4月15日放送)、を見ていて私は感じた。

つまりまだ、abc予想が「真」だと証明されてはいない。このことは番組でも説明されていた。

番組では所謂「強いabc予想」が紹介され、その反証探しに取り組んでいる人も紹介された。
強いabc予想とは:
 abc-triples: comprise positive integers a,b,c such that a+b=c   において
    c/rad(c) < rad(ab)    が成り立つという予想。
   (正の整数nの、互いに異なる素因数の積を根基(radical)と呼び、rad(n)と書く。)

未だ「反証」は見つかっていない。しかしもし見つかれば、abc予想が「真」だとはいえず、従って
「realityには宇宙際タイヒミュラー(IUT)理論が組み込まれている」とはいえない。

番組は「abc予想が証明された」という間違った印象を与えていた。なのでメモしておく。

なお、タグの分類を「新たな社会経済システム」とした理由は、望月新一氏自身による以下の記述、宇宙際タイヒミュラー理論の衝撃が及ぶ範囲の広さの説明、を見れば了解されるだろう。

・・・実際、多くの著名な研究者が長らく「あり得ない」ものとして認識してきたものを、「立派にあり得る」ものとして受け入れてしまうとなると、夥しい数の社会的な構造や組織、地位等が立脚している、底なしに「頑丈」とされてきた様々な形の「固定観念」や「評価の物差し」を根底から否定し、覆すことを意味するはずです。しかも、この従来の「固定観念」や「評価の物差し」に対する否定効果は、数論幾何学という数学の一分野に対する「一次的」な現象に止まる表面的な性質 のものではなく、数学とは直接無関係な、一般社会の様々な構造や組織、地位等に対しても少なからず波及効果を及ぼすことは恐らく多くの関係者からすれば容易に想像が付くでしょう。その意味においては「衝撃的」との受け止め方には一定の合理性は認められます。・・・

           加藤 文元『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』巻頭言:
                  「刊行によせて」 望月新一(IUT理論提唱者)

clm.299:いでよ!オドアケル

出典:TBS News

 いやここは、ブルータスではなく、ゲルマン傭兵隊長オドアケルの出番だ。

オドアケル:5世紀に活躍したローマ帝国の軍人。西暦476年、中央集権を強めた西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを追放し、西ローマ帝国を滅亡させた。(出典:Wikipediaこの資料の5page参照方)

皇帝をはじめ誰も殺してはならない。それは問題の解決策にならない。却って、拗(こじ)らせるだけかもしれない。

今回もこの様に考えて、プーチン露大統領を追放するに留め、ロシア社会構造を、多種の倫理が拮抗し合う精神構造を持った人達による分権自律的なものに変えていく必要がある。なぜならばこの惨状は、プーチンという特定の個人によるものというより、caesaropapism(皇帝教皇主義)という、一つの特定な倫理が常に最優先となる社会構造による罪なのだから。(a structural sin

プーチンを排除しても、根本原因である精神構造・社会構造を変えなければ惨禍は必ず再発する。

clm.298:禁断、ケイサロパピズム

質問:国家権力が暴走したとき、これを止められなくなるのは四つの社会類型の内どれか。

ディアスポラ型はそもそも「国家」というものを排除している。イスラム型(単一宗教優位型)は国家よりも宗教が優位に置かれている。また、デュオスント型では拮抗する宗教がいざとなれば国家の暴走を止められる。だから、答え:ケイサロパピズム型、であることが分かる。

こう考えると、国家権力暴走の危険があるケイサロパピズ(皇帝教皇主義、caesaropapism)を「禁断」とすべきだ、という命題が導かれる。こう、ウクライナ情勢を見ていて思った。

以前この資料の5pageに述べたように、今から千五百年前、教皇ジェラシウスは東ローマ皇帝アナスタシウスに宛ててDuo Sunt書簡を送り、ケイサロパピズムを諫(いさ)めた。

いま、教皇フランシスコはプーチン露大統領に宛てて、現代版Duo Sunt書簡を書き送るべきではないだろうか。早朝、こう思いついたのでメモしておく。

20220228 追記:「宗教が暴走したとき止められなくなるのはどれか」と考えると、イスラム型とディアスポラ型は「危ない」ことが分かる。こう考えてくると、デュオスント型が一番安全なようだが、これももし、宗教も国家も暴走してしまったら止めようがない。(トランプ政権の米国?!)恐らく、「絶対的fail safe」は人間には実現不可能なのだろう。「地上の旅」を慎重の上にも慎重に進めたい、と私は思うが皆さんはどうだろうか。

20220228 更に追記:宗教と国家と科学とを三つ巴あるいは「三すくみ」にすれば、どれかの暴走に対して抑止力が働く「より安全な」社会構造が得られるような気がする。ただ、そういう精神構造をもった人間はとても少ない。・・・いちにもににも「人育て」が鍵だな…。(Tria Sunt

clm.297:ブリンケンのディアスポラ精神に期待

緊張が続くウクライナ情勢だが、交渉に当たるブリンケン米国務長官(左)がユダヤ系であり、その心の奥底にあるはずのディアスポラ精神を発揮して、「国家存立のための戦争は愚かだ」「もっと視野を広くしよう」と周囲の目を開かせることを期待したい。

コラム296で述べた様に、2000年前のユダヤ人は「国家存立のために何かするのは最重要ではない」と思っていた。この考えをしっかり守ったことでローマ帝国から国外追放になりディアスポラ(国家を持たぬ民)になった。ブリンケン国務長官の父親はウクライナ系ユダヤ人、母親はハンガリー系のユダヤ人。地上世界に拘泥せず視野を超自然にまで広げる精神が、ブリンケン国務長官の心には宿っているはず。

ちなみに交渉相手はラブロフ露外相(右)。父親はアルメニア系アメリカ人、母親はロシア人。

アルメニアは世界最古のキリスト教国。パレスチナよりも東側、現在のトルコの東隣り、カスピ海と黒海の間に位置しながらも、イエスが着想しパウロが精緻化したキリスト教社会思想の元型を、世界で最も早く(四世紀)受け入れた国。五世紀後半に、西方キリスト教がデュオスントのカトリックに、東方キリスト教がケイサロパピズムのオルソドクスに分裂した(この資料の5頁目参照方)。その百年以上前に、キリスト教社会思想の元型を、世界で最初に国教として受け入れた国がアルメニア。

ラブロフ外相の父親は、その様なアルメニア系のアメリカ人。流暢な英語を話すラブロフ外相が、ディアスポラ精神、即ち、国家倫理を絶対視しない精神を持っていると期待したい。

clm.296:困惑! 国税庁発行「宗教法人の税務」

左のような『宗教法人の税務』という20頁強のパンフレットを日本政府の国税庁は、2015年から毎年その年初に発行するようになった。2015年版はここ

これに私は困惑している。というのは、私は、カトリック東京教区の或る小教区教会の財務会計担当をしているからだ。「ああナルホドね」と、ここ2, 3回のコラムをお読み頂いている方には分かってもらえると思うが、少し説明する。

『宗教法人の税務』という考え方を、仏教や神道に適用するのは問題ない。というのは、これらの宗教は、数千年前ゴータマ・シッダールタなどの貴族や支配層によってconceiveされた宗教であり、国家倫理に親和する倫理を持ち、国家税制とは別に独自の「徴税権」「税制」を持つことを主張しないからだ。

他方、この「宗教法人の税務」を、キリスト教に適用するのは無理がある。なぜならキリスト教は、二千年前の奴隷層によってconceiveされた宗教であり、国家倫理に拮抗する倫理を持ち、コラム295で述べたように、国家税制とは別に独自の「徴税権」「税制」を持つことを求めるからだ。

「キリスト教は、奴隷層によってconceiveされた宗教」について少し説明すると:

・・・今から四千年ほど前、エジプト、メソポタミア、ギリシャなど四大文明の錚々(そうそう)たる大国メンバーに囲まれた小域であるパレスチナの地に、ユダヤ人達は住み始めた。そしてその後何度も、周りの大国からの侵略と「奴隷化」に悩まされた。

今から三千数百年前、ユダヤ人達はまず最初に、エジプトに強制連行され奴隷にされ、ナイル川の治水等の強制労働をさせられた。モーセが現れ、彼に引率され辛(から)くもパレスチナに逃げ帰ったユダヤ人に、しかし試練はつづく。その後も、周辺大国による強制労働「奴隷化」は何度も続いた。アッシリア、メソポタミア、バビロニア…。強制連行され奴隷化され強制労働させられ、からくも逃げ帰り…。これを何度も繰り返すうちにユダヤ人達は、「大国による支配」に対抗できる倫理を持つ「ユダヤ教」をconceiveしていった。エジプト王ファラオの言うような「地上世界の栄華」のために働いてはならない、「超自然の価値」を追い求めよう、という倫理。

今から二千年前、デナリオン銀貨を発明し「貨幣経済」を人類史上初めて本格化させ、国土を急拡大させるローマ帝国に、このユダヤ人達は襲われた。といっても今度は強制労働による「奴隷化」ではない。「税金を納めろ!」という「奴隷化」。言わば「税金奴隷」になれと強要された。

ユダヤ人達は困った。ローマ帝国に税金を納めれば「大国の奴隷になってはならない」というユダヤ教の教えに反するし、税金を納めなければ「ローマ帝国の法律に違反」ということで処刑されてしまう。

そこにイエスという一人のユダヤ人青年が現れた。「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」と彼はいった。ユダヤ教にも税金を納め、ローマ帝国にも税金を納めれば良い、と。

このイエスの考えに一部のユダヤ人達は猛反発した。「大国の奴隷になってはならない」「地上世界の栄華のために働いてはならない」というユダヤ教の教えに反する、と。彼らはローマ帝国に税金を納めることを拒み徹底抗戦に入った。三度のローマvsユダヤ戦争(Jewish–Roman wars)に敗れた後に「ローマ帝国の領土から出ていけ」との処分をうけて、国土を持たぬ民・国家を持たぬ民(diaspora)となった。世界中に散り散りバラバラとなって各地の地域社会に紛れ込んでいった。

他方、このイエスの考えに「国家支配に対抗できる社会思想」の芽を見つけた若者がいた。パウロだ。ユダヤ人(ヘブライ人)でありながらローマ帝国市民権を持つ裕福な家系に生まれたサウロ(のちのパウロ)は、ローマ帝国支配(つまりローマ帝国への納税)を拒むユダヤ人達を次々と虐殺する中で、自分の行いに「迷い」を感じていた。そんなある日、『サウロ,サウロ,なぜ​わたし​に​危害​を​加える​の​です​か』と​言う​声​(イエス)を心の中に聴いた。ハッ、とした。

そうだ、宗教にも国家にも税を納めればいい、これを地上世界の社会思想にしよう、と思い立ったサウロは、パウロと名前を変え、「イエスはそんなこと言ってなかったぜ」というペトロやヤコブの反発を押しのけて、宣教活動を猛スタートする。幾多の困難を乗り越えて、ローマ帝国の首都ローマにたどり着いたパウロは、ローマ帝国による支配に人知れず根強く抵抗するための、地下活動拠点(カタコンベ、地下墳墓空間)を、ローマ帝国の中心である首都ローマの地下に設立することを思いつく…。

・・・欧米人の言う所の the best hidden secrets, Christian social teaching の核心部。キリスト教は「国家に税金を納めろと言うなら、キリスト教にも「徴税権」を認めてくれ」と主張する。

一方的に「税を納めろ」と強制する日本政府国税庁発行『宗教法人の税務』に、私は困惑する。二千年前、「税金を納めろ」と強要するローマ帝国にユダヤ人達が感じたのと同じ「困惑」。

本来、社会の中に多種類の倫理が互いに互いを尊重しあいながら共存していて、その倫理それぞれが、それぞれの「徴税権」「税制」を、どの税に納税されるかは人々の良心(conscience、共科学心)に委ねた形で、持っているのが「健全な社会」なのではないだろうか。夢みたいに「unforced force」に委ねた社会ではあるけれど、コラム295で述べたことを敷衍すれば、究極的にはこう考えられる。

20220217 追記:“unforced force” +”Habermas” +”Taylor”でググることをお薦めする。興味深い記事が沢山読める。

20220225 追記:上記ではパウロの回心前の行いについて、「ローマ帝国への納税を拒むユダヤ人達を次々と・・・」と述べたが、そうではなく「ローマ帝国への納税を行うユダヤ人達を次々と・・・」とする見方もある。ローマ帝国市民権を持ちながらユダヤ人でもあるサウロ(のちのパウロ)が、実際にどちらの側に残虐行為を行っていたのかは分からない。(あるいは、両方に?) しかしそんなサウロにとって「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」つまり「両方に納税」「両権拮抗併存」というイエスの着想は、目からウロコ、衝撃的に斬新な「発想の転換」だったに違いない。

20220226 追記:上記は、西洋キリスト教社会のナラティブ(narrative、人々が暗黙のうちに共有する物語)としての the best hidden secrets, Christian social teaching。キリスト教神学における「教義」と混同しないように注意したい。