economic substance doctrine(経済的本質を有する事業には国家は課税しない、という法理)は、church and state(両権社会、下図の社会分類図で第三象限(Duo Sunt型))に特有の考え方なのではないか。
そう考えて”economic substance” +”church and state”でググっていたら、面白い資料に出くわした。それは Are faith and health care substitutes?(信仰心は医療の代替となり得るか?)という記事。その結論は「Yes、代替となり得る。宗教行事に参加しない度数と、国費に占める医療費割合とは、正の相関を持つ」というもので、記事の二番目のグラフに示されている。
ご覧の様に、不信心性(縦軸)と医療費(横軸)の間には正の相関が見て取れる。不信心であるほど医療費がかさみ、信仰心が厚いと医療費がかからない。
実際にどういうことか、想像してみる。例えば、癌になって死期が近づいた人がいたとしよう。その人が不信心で現世欲が強い人ならこの世のいのちに執着して「どんな高額医療でも受けたい」となるだろう。他方、信仰心が篤くこの世に執着しないなら「周りの人に祈ってもらいながら静謐に死を迎えたい」となり医療費は多額にはならないだろう。こういうことが起きているのだろう。
右上のフランスはライシテ(政教完全分離)という考えの下、国家運営に宗教性を一切持ち込まない。先程の社会分類図でいえば、Duo Sunt型でありながらも宗教規範と国家規範の重なり部分が空集合(Φ)である(ことを目指している)社会。従って国家としては不信心性が高く、医療費が多額になっている。左下のブラジルやメキシコは南米特有の、現世界のことよりも超自然界のことの探求に重きを置く進歩派カトリック国であり、不信心性が低く、医療費が低額になっている。
保守派カトリック国であるイタリアは、不信心性が低いのに医業費がかさんでいて、宗教ー医療費の相関から外れて右下に位置している。現世への執着が強いのかもしれない。
同じく興味深いのは、例外的に右下に位置する日本だ。これも信仰心が篤いのに医療費がかさんでいる。何故だろう。私の考えを陳べる:日本の宗教は、仏教や神道など元々国家支配層が作り出した宗教なので、国家を支える現世欲が強い。現世御利益(ごりやく)型。上図の社会分類でいうと第一象限(ケイサロパピズム型)。なので、不信心性が低い国としては例外的に医療費がかさむのだろう。形而上界での健康(well being)ではなく形而下界での健康(health of existence)を望んでいる、と言えるかもしれない。(この一文と下図は20220206追記)
恐らく、church and state型社会に見られる、国家規範に拮抗併存する宗教規範を持つ宗教においてのみ、不信心性と医療費の間に正の相関が顕著に表れるのだろう。
この推測は、記事の下の方にあるペンネームDeterminannt(決定因子)さんの、「これは経済学者の意見だけどね」(This is how an economist thinks.)で始まる意見によって補強される。曰く:
These various aspects of churches’ institutional structures are only relevant to this post the extent that they impact the degree of religious competition and/or the interaction between church and state.
半訳:ここで見られる様々な性質は、宗教が持つ競争力、且つ/または、church and state間の相互作用に、churchesが持つ制度的社会構造が、影響を及ぼす範囲においてのみ、成り立つ。
言い換えると、国家を支えるのでなく国家にもの申せるタイプの宗教であるときのみ、その宗教の信仰心は医療費削減に有効に働く。
「オバマは、この辺りのメカニズムを上手く活用して、オバマケアにeconomic substance doctrineを組み込み、国費としての医療費の削減を図ったのだろう」と、私は推測している。