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ESHET-EoF 2025 アブストラクト 書いてみた。

欧州経済思想史学会(ESHET)-EoF 2025合同セッションにアプライするためのabstract、書いてみた。どうするか、投稿締め切りの2月17日まで考える予定。

20250222追記:結局、応募投稿しなかった。理由は、量子論と新たな経済学、というか進歩派キリスト教社会思想とを結びつけて考える論陣仲間が、本主張をを建設的に討論していくためには絶対的に不足する、と私には思えたこと。不遜な言い方だと思うが「掛け算九九を習得していない人達に微積分問題を出題する」ようなもので、いま投稿して仮に議論が始まったとしても、ただただ疑問質問の渦と眉唾モンの批判に晒されて、徒労のうちに無に帰すのではないかと私には思えた。ただこの機会に、自分の考えを簡潔な要約文にまとめられたことは、とても良かったと思っている。少し手直ししてABSTRACT rev.3とした。内容を日本語にすると:


欧州経済思想史学会(ESHET)-EoF 2025、5月22-24日 アブストラクトrev.3

タイトル:
なぜOeconomicae et pecuniariae quaestionesは、あらゆる契機に普遍的に有効な経済公式は形而下存在しないと認識するのでしょうか?  量子論からの可能な答え。

要約:
量子論によれば、無冠詞realityは高次元ヒルベルト空間とその中にあるa naïve realityとで構成されていると示唆される。ボルン則は、そのような高次元ヒルベルト空間での量子状態のa gaze or measurement(注視ないし測定)がそのようなa naïve realityで所定の結果をもたらす確率を与える。言い換えれば、そのような高次元ヒルベルト空間での量子状態が有する複数の固有状態は、ボルン則によって決定される確率に従って、そのようなa naïve realityの隣接領域の中の或る一つの固有状態に収縮される。そして、human beingsはその様な高次元ヒルベルト空間の中に形而上存在する一方で、human existencesはそのようなa naïve realityの中に形而下存在していると示唆される。そうだとすれば、human beingsの契機および約因は、human existencesが思いつく物事で完全には表現することはできない。従って、フランシスコ教皇が EoF 2023 で述べたように、human existencesが考えつくものから「無冠詞realityは常に逸脱する」と言える。こういう理由で、Oeconomicae et pecuniariae quaestionesは、あらゆる約因、即ちあらゆる契機に対して普遍的に有効な経済公式は形而下存在しないと認識する。この認識の背景を、量子論ならば以上の様に推測する。

キーワード:
量子論、あらゆる契機に普遍的に有効な経済公式、量子状態の波束の収縮

著者:
齋藤 旬、応用物理学博士、jun.j.saitoアットhotmail.com または postmasterアットllc-research.jp
(受け入れられたとしても、オンライン プレゼンテーションでのみ参加できます。私は 67 歳で、日本に住んでおり、現役を退いています。また、ESHET のメンバーではありません。)

scire voloの会 2025 開催ちらし

これまで8年間、フランシスコ教皇の思想を学んできた真生会館「学び合いの会」分科会、この名称を、scire voloの会と変更して、引き続き、進歩派カトリックの社会思想を学んでいく。

scireは「知識」を、voloは「私はナニナニを欲す」を、scire voloは「私は知識を欲する」つまり「私は知りたい」を意味するラテン語。またscireは、scienceあるいはscientistの語源でもある。

scientist(科学者)は、無冠詞realityに対し様々な実験をして現象を観測し、その観測結果を説明できるように「原理」ないし「公理」を仮定し「理論」を演繹する。もし仮に「真理」というものが、これら行為の外側、手の届かないところにあるならば、これらの行為は「真理」に近づくものではない。

私個人としては、これら科学者の行為が「真理」に近づくものであって欲しいと思うが、「真理」の奥深さは、私達の力の及ぶものではないのかもしれない。「真理」という言葉を軽々に使ってはいけないと科学者は考える。scienceはあくまで、無冠詞realityに関するscire(知識)を得るための行為であって、「真理」を得るための行為とまでは言えないのかもしれない。

この様な畏怖(awe)をもって、進歩派カトリックの社会思想を学んでいきたい。

20241222追記scire voloの読みを「サイレ・ヴォロ」とすることにした。voloは、voluntaryあるいはvolunteerの語源でもあるので、こう読むことで「私は自発的にサイエンスがしたい」というニュアンスが出ると思う。

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テーマ案:“one reality”という言葉に込めた教皇の思いを探る

2025年分科会テーマを何にするか思案中。標題の様なことも考えている。概要は:


フランシスコ教皇は2024年10月、回勅Dilexit nos(He has loved us)を発行した。その冒頭には、”a personal centre, in which love, in the end, is the one reality that can unify all the others”:「ペルソナの中心には愛がある。即ち、全ての他者を一つにできるone realityをその究極とする愛がある」という言葉がある。その一ヶ月前、インドネシア等訪問した際の教皇ミサ説教の第七段落では、”ultimately, life always brings us back to one reality: without love we are nothing.”:「究極、生命は『愛がなければ私達はnothing』というone realityに私達を常に引き戻す」とも述べている。2022年7月の『カナダ先住民への謝罪』第三段落では、エフェソスへの手紙 2:14-22を参照して“Jesus reconciles by bringing together, by making two distant groups one: one reality, one soul, one people.”:「イエスは人々を集めて和解させる。二つに隔たったグループを一つにし、one reality, one soul, one peopleにする。」とも述べている。一方、物理学者ハイゼンベルクが1958年に講演Physics and Philosophyで述べたように、量子論は無冠詞reality概念の深奥に迫る一つの道を開いた。(このブログ記事参照方) 2025年分科会では、”one reality”という言葉に込めたフランシスコ教皇の思いを探る。


・・・という様な案。どうしようかな…。

分科会2024#5 (11月16日) 開催通知および配付資料

日時2024年11月16日土曜日 13:30 ー 15:30
場所(東京都 新宿区 信濃町 33 -4 カトリック真生会館 1Fホール)
  ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。
テーマ

  EoF基調論文「Oeconomicae et pecuniariae quaestiones 現行経済金融の問題点」精読
     第34節
無冠詞realityにおいては、私達 every oneが、特に、一人一人全てのoneが孤独に留まらなければ、多くのことを成し遂げることができる。市民社会から創出される数多くのassociationsは、この意味で、不可欠な意識と社会的応答責任の宝庫を典型的に表している。

配付資料

分科会2024#4 (9月21日) 開催通知および配付資料

日時2024年9月21日土曜日 13:30 ー 15:30
場所(東京都 新宿区 信濃町 33 -4 カトリック真生会館 1Fホール)
  ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。
テーマ

  EoF基調論文「Oeconomicae et pecuniariae quaestiones 現行経済金融の問題点」精読
     第27節~第33節
                       lawfulness(形而上法的正当性)且つno intention of tax avoidance(税金逃れの意図無し)
                      であるbusinessには、国家は課税出来ない。

配付資料

“Oeconomicae et pecuniariae quaestiones” – 現行経済金融の様々な問題点、全34節を一応全て半訳

全34節を一応全て半訳し、rev.10aとしてアップした。

推敲まだまだ続きますが…。(^o^)

20240719 追記)現時点での最新版rev.10bに差し替えた。

20240722 追記)現時点での最新版rev.10cに差し替えた。

20240727 追記)12頁20節冒頭を「前述の(訳補:物質的)well-beingは、多種多様な資源から自ら勝手に養分摂取します。その結果生まれたもの残ったものが、或る種の経済金融「生物多様性」を形成します。」と変更し、rev.10dとしアップし直した。

20240812 追記)5頁「一つの霊的存在をこの形而下界に現実化(actualize  訳補:量子論的にはこのイメージ)する際に」のように訳補を加え、他少し修正加筆。rev.10eとしてアップ。

20240813 追記) [訳註42] 本論考サブタイトルにあるconsiderations(様々な約因)と、この numerous associations emerging from civil societyとは、同じことを意味していると言える。――この訳註を25頁に加えてrev.10fとしアップした。

“Oeconomicae et pecuniariae quaestiones” – 現行経済金融の様々な問題点、第三章第30節まで半訳

更に30節まで訳出しアップした。全34節だからもうチョイ。

21頁目の訳註33に、economic substance doctrine、つまり「economic substance(経済本質)を持つbusinessには国家は課税出来ない」という考え方の解説を載せた。本ブログの読者には是非読んで頂きたい。

 

分科会2024#3 (7月20日) 開催通知および配付資料

日時2024年7月20日土曜日 13:30 ー 15:30
場所(東京都 新宿区 信濃町 33 -4 カトリック真生会館 1Fホール)
ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。
テーマ

EoF基調論文「Oeconomicae et pecuniariae quaestiones 現行経済金融の問題点」精読
 第18節~第26節 経済と金融の形而下代行者が、倫理に関する見当識 [訳註15]をどう持てば良いのか、
                                 詳しく具体的に示して欲しいという要望が、彼ら全員から益々多く寄せられている。

20240719 追記)全34節を全訳したので、現時点での最新版rev.10bにあわせて明日の資料を作り直した。

配付資料