量子論」タグアーカイブ

clm 317:Quantum Cosmology(量子宇宙論)

2025年6月23日記事の追記で私は、教皇フランシスコ2024年回勅、Dilexit Nos の段落23にある、Everything comes together in a state of coherence and harmony. の訳を、「コヒーレント状態と同時固有状態とから成る一つの大規模な量子状態の中で、全ては一緒に生起する。」とした。

こう和訳する前提には、量子宇宙論(Quantum Cosmology)がある。それは簡単に言うと、「元々宇宙はビッグバンの前はたった1個の量子だった」という考え方。なおこの「」内の説明文は、古澤明『光の量子コンピューター』93頁より抜粋した。

近年この考え方には、日本人研究者達によって大きな進展が見られた。それは、京都大学research-newsにある「量子宇宙の創生と宇宙の波動関数の厳密な計算―無境界仮説とトンネル仮説の長年の論争解決に向けた大きな一歩―」。

その中に、想像を掻き立てられるイメージ図がある。それは:

量子宇宙創生の図。量子トンネル効果によって、宇宙が無から創生される様子を表している。
©サイエンス・グラフィックス社

高次元空間での出来事を、3次元空間でのパースとして描いているので、この図は至って不正確なはずだが、とにかく想像を掻き立てられる。コラム記事とした次第。

20260301追記:「宇宙創生」は高次元空間での出来事だと分かってもらう為に少し解説する。左掲のビー玉のように描かれた宇宙は、正確に言えば、通常の三次元球ではなく、半径138億光年の四次元球の最表層、即ち、四元数で表示すれば:
  r eiθ+jφ+kψ 、r = 0 ~ 138億光年
の、最表層(r = 138億光年)としての「端のない閉じた三次元空間」だ。それは、人間には具体的イメージを掴むことが出来ない。だから、左掲のビー玉宇宙は、至って不正確な図だ。

ただ、「類推」することは出来る。例えば、厚みゼロの円盤、つまり二次元球の最表層は「端のない閉じた線」即ち「円」という一次元空間となるし、通常の三次元球の最表層は「端のない閉じた面」即ち「球面」という二次元空間となる。これを敷衍すれば、四次元球の最表層は「端のない閉じた三次元空間」、少し詳しく言うと「該四次元球の中心からその全てが等距離にある、端のない閉じた三次元空間」となることが類推できるだろう。ただ、依然として具体的なイメージは掴めない。そもそも「或る中心点からその全てが等距離にある三次元空間」を、人間は想像できない。そんな「中心点」は、この三次元空間のどこを探しても見つからない。ということで、くれぐれも、通常の三次元球と混同しないように…。

ScireVoloの会2026#1 (3月21日) 開催通知および配付資料

日時2026年3月21日土曜日 13:30 ー 15:30
場所  ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。
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  EoF 2025 教皇レオ14世メッセージ
 人類がその命運を託したthe “new things” [訳註1]に、皆さんほど深く関わっているoneはいません。

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clm 316:「現実の背後に、より広大な真実の世界が横たわっていることに気づかない」。湯川秀樹『目に見えないもの』より

原田雅樹著、『量子と非可換のエピステモロジー: 数学と物理学における概念と実在』 (Epistemology of Quantum and Noncommutativity – Concepts and Realities in Mathematics and Physics)東京大学出版会 2024年3月28日初版。(試し読みはここ

去年秋、たまたま書店で見つけ、妙に惹かれ即座に購入した。著者の原田雅樹氏が、カトリック司祭でもあると、後から知った。カトリック聖職者で量子基礎論を研究するひとに、またひとり邂逅した。

本書には、カトリック司祭でありながら神学的議論を夾まない意図が感じられる。淡々と数式、数学概念、物理概念、哲学概念が展開される。しかし著者のカトリック司祭としての「思い」は垣間見える。たとえば2頁目、赤で示した部分にその「思い」が表れている。

なお、存在論(ontology)と認識論(epistemology)は、通常の西洋哲学においては、根幹で対立しあう概念。つまり、本質存在(onto)があるから「私」は在るのか、「私」が認識(epistanai)するから「私」は在るのか、が長く対立している。このことを念頭に置いて、以下読んで頂きたい。


序 2. エピステモロジー

本書は、フランス・エピステモロジーを紹介しつつ、その他の哲学的立場、特に解釈学的現象学との関連性を示し、そこで導入された方法論を20世紀の物理学、数理物理学、数学に適用しようとするものである。エピステモロジーは、存在論に対する認識論を通常は意味する。しかしフランス哲学の文脈では科学史と結びついた科学認識論に近い意味を有し、そう訳されることも多い。ただし、科学史と言っても、科学と政治史ないし社会史の関係を研究する外的歴史ではなく、科学内部の概念の発展史を研究する内的歴史と結びついた科学認識論である。

エピステモロジーとは何であるのか。金森修は、岩波の『哲学思想事典』の「エピステモロジー」の項目で次のように述べている。

〔エピステモロジーは、〕現在ではコントあたりを淵源とするフランスの合理主義的、主知主義的、分析的な科学哲学を指すために使用されることが多い。ただ英米系の論理実証主義が、形式言語による科学理論の論理的再構成を主眼としたのに対して、伝統的に科学史と深い関係を保つという特徴をもつ。個別科学の具体的事実の史的分析をする過程で、科学理論を構成するうえで内容的に原理的重要性をもつと考えられる概念を幾つか抽出する。例えば無限、エントロピー、原子、進化などである。そのうえでそれらの概念が理論内に組み込まれていく際の歴史的文脈を克明に辿りながら、組み込み前後における説明機構の変遷を分析して、当の概念が果たす役割を浮き彫りにする。それは生成過程の科学思考の歴史的分析だといえる。〔……〕エピステモロジーは個人を超える非人格的知識がもちうる存在様態を付随的に明らかにするという意味あいをもつ。それは、超越論的主体による意識的な世界構成を基盤におく現象学的哲学と多くの点で対立する。1960年代にフランス思想界を席捲した構造主義もエピステモロジーとの関連のなかで理解される必要がある。
   『哲学思想事典』1993、p.161


私(齋藤旬)の勝手な読みだが、ひょっとしたら原田師は、ontological epistemology(存在論的認識論)といったような概念を提唱しようとしているのではないか。つまり、本質存在(onto)があり、それを「私」が認識(epistanai)するから「私」が在る、といったような考え方を打ち出そうとしているのではないか。(Ngramで調べると、ontological epistemologyという用語の初出は1916年。量子力学が萌芽していく時期。何か関係がありそうだ。)

また、私はカトリックだが物理学が専門で、哲学用語には疎い。なので読解にAI活用が便利。たとえば35頁:


(3)カントによる数学論と哲学の方法

数学における直示的方法 カント(Immanuel Kant, 1724-1804)の哲学は、ニュートン物理学がどうして正当化できるかという問題を射程の一つにおき、それが超越論的演繹を実行する一つの大きな動機となっている7)。カントは、『純粋理性批判』のA版を著した後、そしてB版を著す前に『自然科学の形而上学的諸原理』を著している。ヴュイユマンは『カントの物理学形而上学』(Vuillemin [1955])で、この二つの著作を関連付けて読み込んでいるが、それは、そのような読解を与えることで、フランスの反省哲学のような、カント哲学に対する極度に観念論的な解釈を避けるためである。

カント哲学では、ア・プリオリな総合判断の上に成立する知に数学といわゆる数理物理学がある。そしてカントは、数学と物理学をはっきりと区別してはいるものの、その間にある深い連関について考えている。ヴュイユマンの『カントの物理学と形而上学』第1章は、カントの物理学と数学について扱っており、その第1節は「直観と存在」と名付けられている。カントは『自然科学の形而上学的諸原理』の中で、特定された自然的諸物に関する純粋自然論は、自然一般に関わる純粋哲学と区別されたものであり、この特定化のためには数学による概念の構成が必要であると述べる。この数学による概念の構成には、直観が深く関わっている。他方、数学によって特定された純粋自然論、すなわち数理物理学は、対象の存在に関わるために、形而上学的諸原理を必要とする(Kant, MAN, カッシーラー版C.347, p.12)。この形而上学的諸原理こそが、構成された数学概念にそれが適用されるための実在的対象を与え、それによって数理物理学を可能にする。

__________
7) カントにおける超越論的演繹とは事実問題ではなく、権利問題に関わり、カテゴリーの客観的妥当性を証明する議論のことである。「カントの言う『演繹』は、帰納に対して演繹と通常言われるもの、すなわち一般的な命題から特殊的な命題を三段論法的な推論によって論理的に正しく導出する手続きを意味するものではない。〔・・・・・・〕カント独特の『演繹』とは、〔・・・・・・〕人間が世界において行う認識や道徳的な行為、美的並びに目的論的な判定といった広義の経験の諸領域における最高の原理を確立する事によって、そうした諸領域を正当化し根拠づけるという哲学本来の課題を果たすために、カントが案出した議論の形式であった」(『カント事典』、p.39)。


カッシーラーの名前は、この部分も含めて全編にわたり9箇所出てくる。このことから、本書が属する哲学をドイツ哲学で分類すれば、ニュートン力学とユークリッド幾何学を基盤とする決定論的Kantian philosophy(カント哲学)ではなく、量子力学と相対性理論(リーマン幾何学)を基盤とする非決定論的Neo-Kantian philosophy(新カント哲学)であることが分かる。何故ならカッシーラーこそが、1937年著書『決定論と非決定論』において、量子力学と相対性理論(リーマン幾何学)を基盤とする非決定論的Neo-Kantian philosophy(新カント哲学)を創始したからだ。

p.p.297-301の「あとがき――登場人物とその周辺、そして痛切な現実」では、著者のカトリック司祭としての側面も垣間見える。そこには、本ブログ記事のタイトルにした湯川秀樹氏の短文も配されている。転記しておく。


真実

現実は痛切である。あらゆる甘さが排斥される。現実は予想できぬ豹変をする。あらゆる平衡は早晩打破せられる。現実は複雑である。あらゆる早合点は禁物である。

それにもかかわらず現実はその根底において、常に簡単な法則に従って動いているのである。達人のみがそれを洞察する。

それにもかかわらず現実はその根底において、常に調和している。詩人のみがこれを発見する。

達人は少ない。詩人も少ない。われわれ凡人はどうしても現実にとらわれすぎる傾向がある。そして現実のように豹変し、現実のように複雑になり、現実のように不安になる。そして現実の背後に、より広大な真実の世界が横たわっていることに気づかないのである。

現実のほかにどこに真実があるかと問うことなかれ。真実はやがて現実となるのである。

昭和16年1月
湯川秀樹『目に見えないもの』(講談社、1977年)より

EoF関連 2018-2025 まとめ表

当ブログでは、教皇フランシスコ挨拶など様々なEoF関連資料を半訳し、あちこちにアップしてある。一覧があった方が便利だろう。まとめを作った。活用されたい。(^o^)

  EoF基調論文 2018年1月6日発行
 現行経済金融システムの諸相に関しan ethical discernmentするための様々な約因
 20260108半訳アップ
 “フランチェスコの経済”開催に向けて 招待状 2019年5月1日発行  20230209半訳アップ
 第1回EoF教皇メッセージ 2020年11月21日発行 20230505半訳アップ
 第2回EoF教皇メッセージ 2021年10月2日発行  20230620半訳アップ
 第3回EoF教皇メッセージ 2022年9月24日発行 20230807半訳アップ
 第4回EoF教皇メッセージ 2023年10月6日発行 20231021半訳アップ
 第5回EoF教皇メッセージ 2024年9月25日発行 20241130半訳アップ
 第6回EoF教皇レオ14世メッセージ2025年11月28日発行 20260224半訳アップ
 EoF Foundation始動 20250201半訳アップ
 欧州経済思想史学会(ESHET)- EoF 2025合同セッション
       “EoF: 経済学の新地平線”
   20250206半訳アップ
 ESHET-EoF 2025 アブストラクト 書いてみた。 20250212半訳アップ

ScireVoloの会2025#5 (11月15日) 開催通知および配付資料

日時2025年11月15日土曜日 13:30 ー 15:30
場所  ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。
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  Dilexit Nos 48. -63 対訳
  the people は、the heartがeach human beingの感情の中心だというmindを今も持ち続けている。

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clm.313:物理学的発見(physical discovery)は、形而上学(metaphysics)の覆い(cover)を取り外す

先月末「エッ、形而上学を、形而下で可能な実験によって検証できる?! これは驚き」と私は書いた。その後ネットを渉猟していて、むしろ、A physical discovery literally removes the cover of metaphysics. つまり「物理学的発見(physical discovery)は、形而上学(metaphysics)の覆い(cover)を取り外す」という様に思い直すキッカケを、或る論文から得た。

それは「カントの実験的⽅法再考–『純粋理性批判』第二版序文における「実験」の射程について」という論文。そこには、

カントが1788年に『純粋理性批判』第二版を出版した動機は、1543年にコペルニクス著『天体の回転について』が出版され、「地動説」が何百年にもわたる喧喧囂囂(けんけんごうごう)の議論を生んだことにある、というようなことが書いてある。実際、「コペルニクス的転換」という用語はカントの造語とのこと。

上掲した1953年初版発行岩波文庫『天体の回転について』の解説「コペルニクス説の反響」(132頁)には、

・・・これはたいしたものだと述べている人が幾らもいるのである。しかし概していえば、反対する人の方が多かった。前者は科学者であり、後者は宗教家または俗人であった。といっても科学者の全部が賛成したわけではない。中にはその説には賛成いたしかねるが、彼はプトレマイオス以来の天文学者だ、という誉め方をしている人もある。いや、こういう人がなかなか多い。宗教家または俗人はその学説を理解して反対したのではない。聖書の教えに反するといって頭から反対したのである。メランヒトンでもルーテルでもカルヴィンでも、みなそうである。これは、学問上の反対論ではないから取るに足りないのであるが、この学説の発展に対しては勿論大きな障碍になった。1615年にはとうとうこの書はローマ法王庁の禁書目録に載せられたのである。・・・とある。

1543年にコペルニクス著『天体の回転について』が出版され、1788年にカント著『純粋理性批判』第二版が出版された。その間約250年。その後の19世紀には、世俗的近代合理主義によるA secular age(世俗の時代)が始まった。

そして今、ベル不等式の破れが実験実証された。即ち、重ね合せ量子状態 |𝜓s⟩にある粒子1と粒子2が持つ可換物理量AとBに関し、演算子をAOpBOpとして、その2粒子が遠く離れ離れになっても、量子相関⟨𝜓sAOpBOp│𝜓s⟩ がゼロにならないこと、つまり、光速で伝わる相互作用では説明がつかない非局所相関(nonlocal correlation)があることが確実となった。spooky(不気味)で不思議な現象が確実となった。2022年にはノーベル物理学賞がアスペ、クラウザー、ツァイリンガーの3氏に授与され、新たな実験形而上学問題の議論が再び始まった。この議論が一応の決着を見るには、また250年くらいかかるのだろうか。しかし、それではいつまで経っても本格的なpost-secular(ポスト世俗)の時代が始まらないような…。

20251011追記“physics discovers metaphysics”とGoogle Geminiに尋ねると、興味深い解説をしてくれる。玉石混淆だが一見の価値あり。

20251014追記:「聖」から「俗」へのシフトであったコペルニクス起点の実験形而上学的変革と、「俗」から「ポスト俗」へのシフトとなるだろうベル起点の実験形而上学的変革とでは、批判者と賛同者の構成が異なってくるのではないか。即ち、上掲「コペルニクス説の反響」抜粋にある様に、大まかにいって、コペルニクス起点の変革では、批判者は宗教家または(聖書記述をそのまま信じる当時の)俗人によって構成され、賛同者は科学者によって構成されたが、これから起きるだろうベル起点の変革ではこの関係が逆転し、批判者は科学者によって構成され、賛同者は宗教者によって構成されるのではないか。いや、さらに大胆に予想すれば、ベル起点の変革で建設的意見を持つ勢力は、科学者宗教者を問わず、不思議な現象の背景に「どういう原理があるのか」「何か理由があるのか」、気になって落ち着かない、解明せずにはいられない、とにかく「面白い」「楽しい」と思う性分の持主たちで構成されていくのではないか。

20251015追記:「ベル不等式の破れ」実証実験は通常、スピン角運動量を使って、|CHSH|<2ではなかった、という具合に説明される。これを含んで更に一般的な説明、即ち、正確ではないが大雑把に言えば「光速を越えて瞬時に伝わるかのように私達人間には見える量子相関」の説明を赤字で付記した。⟨𝜓sAOpBOp│𝜓s は、物理量AとBの積の測定期待値を表すが、これが量子相関の表式となりうることは、清水明『新版 量子論の基礎』214頁220頁に説明されている。背理法を使って少し補足すると、「量子論的非局所相関が無い」且つ「光速で伝わる相互作用では同調が間にあわないほど離れ離れ」、つまり、何らの相関もあり得ないとき、物理量AとBがどちらもゼロをはさんで互いにバラバラの値をとり、結局、物理量AとBの積の測定期待値⟨𝜓sAOpBOp│𝜓s がゼロになる。

20251018追記:上記にあった可換物理量AiとAiiとその演算子AiAiiの表記を、可換物理量AとB、その演算子AOpBOpに変更した。なお、可換物理量AとBは通常、「スピン角運動量の向き(↑、↓)」あるいは「軌道角運動量の方位角」のように同種にとることが多い。また可換であるから、⟨𝜓sAOpBOp│𝜓s⟩=⟨𝜓sBOpAOp│𝜓s⟩である。可換物理量AとBを、もつれ光子対が持つ軌道角運動量の方位角θφとすると、⟨𝜓sAOpBOp│𝜓s⟩=⟨𝜓sBOpAOp│𝜓s⟩=cos(θφ)となる。この「量子相関=cos(θφ)」を実験で実証した論文「Imaging Bell-type nonlocal behavior」は、「スピン角運動量を使って|CHSH|<2ではないと実証する」論文よりも格段に分かりやすい。量子基礎論の学界でもっと採りあげてほしいと思い特記した。

ベル定理と実験形而上学

量子力学100周年研究会:量子基礎・量子情報のこれまでとこれから」に、9月8日から12日、ZOOM参加した。どの講演も面白かったが私にとっての白眉は、チュートリアル講演:ベル定理と実験形而上学(木村元)。

experimental metaphysics(実験形而上学)という用語は、Abner Shimonyによって導入され、それは「単体では科学となり得ない形而上学的仮説が、形而上学的仮説を複数組み合わせると、形而下で実験検証可能な科学となることがある」を意味するとのこと。(講演発表資料の12頁参照方)

エッ、形而上学を、形而下で可能な実験によって検証できる?! これは驚きだ。というのは…。

左掲のリーゼンフーバー著「存在と思惟」162頁によれば:

形而上学―そして形而上学に対する批判ーにとっては、自らより高次のメタ・レヴェルの立脚点は存在しない。それ故、形而上学の概念を規定することを、あるいは、それを批判することを試みる者は、そのことによって既に不可避的に、形而上学を遂行していることになる。

・・・とある。つまり、「形而上学は、形而下学(physics)から論ずることは出来ない」とされていた。これに真っ向から反するではないか、と思った次第。

驚くと同時に、5年以上前に書いたコラム249「the metaphysics of quantum physics」を思い出した。定年退職後に量子論の勉強を本格再開し、ふと思ったことは、あながち、間違いではなかった。トンチンカンな方向に突き進んだのではなかったと、胸をなで下ろした。(^o^)

ScireVoloの会2025#4 (9月20日) 開催通知および配付資料

日時2025年9月20日土曜日 13:30 ー 15:30
場所  ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。
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  Dilexit Nos 32. -47 対訳
  第一章「心の重要性」ではconsidering Christを行った。第二章では his actions and wordsが、
  私達にとって、his heartを洞察する上でどの様な助けとなるのかを見た。


20250913追記:第25段落の訳註20の末尾に以下の太字部を付け足し、対訳docをアップし直した。

[訳註20]:この表現:「主が私達に選択を委ねた場」は、訳註12で言及したan amorphous reality(一つの非晶質現実)の特質を表し、量子力学の言語で言えば高次ヒルベルト空間に重ね合せ量子状態として用意された選択肢の範囲に限定されたfree will(自由意志)を私達が持つことを表している。背景には「重ね合せ量子状態のreduction of wave packet(波束の収縮)の行き先をコントロールすることは可能」(拙コラム267「equality(公平)は人間には実現不可能」参照方)という量子コンピューター作動原理に繫がる発見がある。神はサイコロを振らない(God does not play dice.)はアインシュタインの言葉だが、本回勅はその先を、God does not play dice, but human existences sometimes do. Instead, they should make the choice more prudently.と補足しているとも言える。

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ScireVoloの会2025#3 (7月19日) 開催通知および配付資料

日時2025年7月19日土曜日 13:30 ー 15:30
場所  ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。
テーマ

  Dilexit Nos 21. -31 対訳
  主が私達に選択を委ねた場がどの様な場になろうとも喜んで奉仕し、主の歩みに従って前進する


20250731追記:段落23の訳註18を、下記の様に書きかえ、パワポと対訳docをアップしなおした。

[訳註18] フランシスコ教皇文章に多く見られるEverything is interconnected. (訳例:全ては量子もつれの状態にある。)と同様に、この文からも量子力学の見地から深奥な意味を感じ取ることができる。即ち、Everything comes together in a state of coherence and harmony. は、「コヒーレント状態と同時固有状態とから成る一つの大規模な量子状態の中で、全ては一緒に生起する。」と訳すことができる。コヒーレント状態とは、物理学者ロイ・グラウバー(1925-2018)の1963年の論文で、その具体例がレーザー光として見いだされた量子状態。それは、非可換な物理量、例えば時間とエネルギーが、擬確率分布(quasi probability distribution)の軌跡(例えばこれ)として観測される量子状態を意味する。他方、同時固有状態とは、量子状態|φ⟩と量子状態|ψ⟩が共通固有状態を持ち、そこに向けて|φ⟩と|ψ⟩が波束の収縮を起こし、それぞれの実数固有値kφとkψが、一定に定まる可換な物理量として観測される量子状態を意味する。これらを敷衍すると、全ての物事、即ち、私達が観測する神羅万象の、元となる諸々の量子状態が波束の収縮をする収縮先が、「コヒーレント状態と同時固有状態とから成る一つの大規模な量子状態」であって、それ故に、全ての物事それぞれの物理量観測値が、それぞれに局限された値域にあるように、あるいは、それぞれに一定に定まるように、全ての観測者に共有されるとき、この「コヒーレント状態と同時固有状態とから成る一つの大規模な量子状態」の中に、私達がその中にいると感じているa realityがあると考えることができる。

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