教皇フランシスコ」タグアーカイブ

economic substanceとinformal economy

先の、substance(本質)とform(形)のイメージ図は、下図のイメージに繫がる。肝心なことを書き忘れていた。(^_^;)

※)注意点:形骸化したformal economy、drugやtraffic exchangeを扱うinformal economy、これらはeconomic substanceを持たないだろう。形而下界に現れたeconomyが全て、economic substanceを持つわけではない。

20220908追記)「form(形)があってもsubstance(本質)がないものがある」「form(形)がなくてもsubstance(本質)があるものがある」と気付くことが要点。

20220924追記)from it to bit. それは量子論の潮流でもある。

分科会2022#4 (9月17日) 開催通知および配付資料

日時2022年9月17日土曜日 13:30 ー 15:30
場所(東京都 新宿区 信濃町 33 -4 カトリック真生会館 1Fホール)
ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。
テーマ peoples’ presentation: 救おう、この惑星地球と人類とを

配付資料

clm.302:覆いの下のrealityをのぞき見る

無冠詞realityとは何か。物理学者が一般向けに解説したテキストの出版が続いている。ペンローズ、ロベッリ、グリーン・・・。その中でもこの本、Ten Keys to Reality『仮題:realityへの10個の鍵』は、著者・内容共に「白眉」かもしれない。

2004年ノーベル物理学賞を受賞し、2008年には形而上界での存在(being)を論じたThe Lightness of Being『物質の全ては光』を出版したフランク・ウィルチェックが、2021年1月に出版したこの本は、小さい頃はカトリック教育を受けたという彼の生い立ちも相まってか、宗教と科学のバランスがとても良いように私は感じる。

現に、「宗教におけるノーベル賞」と言われるテンプルトン賞を、2022年5月に受賞した。

受賞を記念してL.A.Times誌がこの5月にインタビューした記事を見つけた。本の内容を垣間見るには絶好と思うので半訳した。宜しかったらご覧下さい。

clm.301:ability to organize and carry out creative alternatives

一昨日開催した分科会でのO氏のコメントは衝撃的だった。「二頁目の原英文の最下部にあるto不定詞は、to organize and carry out creative alternativesという具合に二つの動詞を含むんじゃないですか?」 アッその通りだ! 急転直下! まさに「目からウロコ」

ここでフランシスコ教皇は「an organizationを設立し創造的代替策を実行する(to organize and carry out creative alternatives)ための能力の内、関連する法律が整備されそのlegitimacy(法律的正当性)が認められ一般化された能力(ability)」、即ち、「近年西洋社会で関連法律整備が進んだpartnership組織を設立し運営するability」について言及しているんだ! 

つまり「人類の未来の命運は、皆さんが持つability、即ち、partnership組織を設立し運営するabilityに託されている」と。

先の「開催通知および配付資料」の配付資料の該当部分を上掲のように訂正し、rev.11とし、添付し直した。既にお読みいただいた方は、もう一度お読み下さい。

とても重要な部分を、私の読解力不足のために見落としていた。ゴメンナサイ。訂正してお詫び申しあげます。

分科会2022#3 (7月16日) 開催通知および配付資料

日時2022年7月16日土曜日 13:30 ー 15:30
場所(東京都 新宿区 信濃町 33 -4 カトリック真生会館 1Fホール)
ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。
テーマ dreams for system change, IV WMPM 教皇メッセージ後半

配付資料

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分科会2022#2 (5月21日) 開催通知および配付資料

日時2022年5月21日土曜日 13:30 ー 15:30
場所(東京都 新宿区 信濃町 33 -4 カトリック真生会館 1Fホール)
ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。
テーマ system change

配付資料

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分科会2022#1 (3月19日) 開催通知および配付資料

日時2022年3月19日土曜日 13:30 ー 15:30
場所(東京都 新宿区 信濃町 33 -4 カトリック真生会館 1Fホール)
ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。
テーマ peopleとは何か

配付資料

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clm.298:禁断、ケイサロパピズム

質問:国家権力が暴走したとき、これを止められなくなるのは四つの社会類型の内どれか。

ディアスポラ型はそもそも「国家」というものを排除している。イスラム型(単一宗教優位型)は国家よりも宗教が優位に置かれている。また、デュオスント型では拮抗する宗教がいざとなれば国家の暴走を止められる。だから、答え:ケイサロパピズム型、であることが分かる。

こう考えると、国家権力暴走の危険があるケイサロパピズ(皇帝教皇主義、caesaropapism)を「禁断」とすべきだ、という命題が導かれる。こう、ウクライナ情勢を見ていて思った。

以前この資料の5pageに述べたように、今から千五百年前、教皇ジェラシウスは東ローマ皇帝アナスタシウスに宛ててDuo Sunt書簡を送り、ケイサロパピズムを諫(いさ)めた。

いま、教皇フランシスコはプーチン露大統領に宛てて、現代版Duo Sunt書簡を書き送るべきではないだろうか。早朝、こう思いついたのでメモしておく。

20220228 追記:「宗教が暴走したとき止められなくなるのはどれか」と考えると、イスラム型とディアスポラ型は「危ない」ことが分かる。こう考えてくると、デュオスント型が一番安全なようだが、これももし、宗教も国家も暴走してしまったら止めようがない。(トランプ政権の米国?!)恐らく、「絶対的fail safe」は人間には実現不可能なのだろう。「地上の旅」を慎重の上にも慎重に進めたい、と私は思うが皆さんはどうだろうか。

20220228 更に追記:宗教と国家と科学とを三つ巴あるいは「三すくみ」にすれば、どれかの暴走に対して抑止力が働く「より安全な」社会構造が得られるような気がする。ただ、そういう精神構造をもった人間はとても少ない。・・・いちにもににも「人育て」が鍵だな…。(Tria Sunt

clm.295:国家税制と宗教税制の拮抗併存

economic substance doctrine ー 経済の本質を伴う営みには国家は課税しないという法理 ー は、両権社会(church and state, Duo Sunt)に特有な法理。これを確認するために:『2016年Kluwar出版社発行Comparative Tax Law, 2nd edition 4章9節 Religion and Religious Law(原英文はここ)』を半訳し精読した。確証を得るとともに他にも知見が得られたのでメモしておく。なお、「economic substance doctrineは、両権社会に特有な法理」の確認は、以下を読めば自然な論理展開となるので、ここには記さない。


「国家税制と宗教税制の拮抗併存」

世界中の国(country)は、国家倫理(state ethics)と宗教倫理(religious ethics)の包含関係の違いによって、四種類に分類できる。(承前。例えばここ)

即ち、ケイサロパピズム型 (国家倫理  宗教倫理); 単一宗教優位型 (国家倫理 ⊂ 宗教倫理、以下「イスラム型」と呼ぶ); デュオスント型 (包含関係なし、且つ、国家倫理 ∩ 宗教倫理 ≠ 空集合。両権社会とも呼ぶ); ディアスポラ型(宗教倫理のみ)の四種類。

この四種類の内、「国家税制と宗教税制の拮抗併存」が起きるのは、イスラム型とデュオスント型に限る。なぜならば:

「税」とは何なのか。それは、国家ではなく社会の維持・発展のためのresource (資源)。このことに注意したい。この「発展」の意味するところ、すなわち「社会が目指すべき方向」は、その社会がどの様な倫理を持つのかに依存する。だから当然、社会倫理の中に国家倫理とそれとは異なる部分を持つ宗教倫理との二つが含まれる社会では、「税」を徴収する「徴税権」あるいは「税制」を、それぞれの倫理が持つことになる。

20220215 追記:確かに、上掲資料にある様な偽装宗教税問題という厄介ごとが増えるかもしれない。discernment(ホンモノかどうか識別すること)はとても難しい。しかし、もしそれがホンモノの倫理であるならば、倫理それぞれが、それぞれの「徴税権」「税制」を持つべきだ

そして、社会倫理の中に国家倫理とそれとは異なる部分を持つ宗教倫理との二つが含まれる社会はデュオスント型とイスラム型だけ。結果、この二つの型の社会においてのみ国家税制と宗教税制の拮抗併存が起きる。

・・・さて、私達が生活する日本社会は、優位に置かれた国家倫理が宗教倫理を内包するケイサロパピズム型。カエサル(皇帝、国家首長)がポープ(教皇、宗教指導者)を選ぶ権限を持つタイプ。ウェーバーが名付けた社会類型であり、国家支配層がconceiveした宗教を持つ社会の多くがこれに分類される。国策宗教が不可抗力的に作られてしまう危険があり、徴税権は国家に属し宗教には属さない。

結果日本では、例えば、宗教者が「死刑反対」「自衛隊の海外派遣、反対」「原発反対」と主張しても、社会をその方向に持っていく実効力はほとんど無い。このことに「慣れ」た私達には、にわかには信じがたいかもしれないが、他のcountry(国)ー イスラム社会とデュオスント(両権社会)では、確かに宗教が社会を変えていく実効力を持つ。このことが、この資料を読むと良く分かる。

・・・この辺りに、フランシスコ教皇が最新刊『兄弟の皆さん』で、さかんにイスラムへの接近を図る要因があるのかもしれない。

20220212 訂正:上記全体で、「規範」と記載していたものを「倫理」に訂正した。具体的には、国家倫理はutilitarian ethics(効用主義倫理)であり、宗教倫理は、宗教を進歩派カトリックと想定すれば virtue ethics(徳倫理)であることは、当ブログ読者には明かだろう。コラム251で、「倫理が変われば経済も変わる」というようなことを述べたが、この考えの下に訂正を行った。

20220212 追記:日本政府の「新しい資本主義実現会議」も、もし本当に新しい経済を考えたいなら、まず先に「新たな倫理」についてconceiveする必要があるのではないだろうか。