| 日時 | 2026年3月21日土曜日 13:30 ー 15:30 |
| 場所 | ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。 |
| テーマ | EoF 2025 教皇レオ14世メッセージ |
配付資料

| 日時 | 2026年3月21日土曜日 13:30 ー 15:30 |
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米IRSよりSOI Bulletin 2025 Fallが、予定より2ヶ月も遅れて発行された。同時に、Partnership returns articlesにPartnership Returns, 2023が、そしてPartnership returns line item estimatesにPartnership returns line item estimates, 2023が発行され、2023年の税務申告をしたLLCの総数が、3,324,538だったことが分かった。
第一次トランプ政権下の2019年を除いて、31年間、年間およそ10万社のペースでLLCが増加してきたことが分かる。
また、Corporation Income Tax Returns Complete Reportに、Corporation complete report 2022がある。その9頁のFigure Gから、2022年、納税の税務申告を行った、すなわちactive returnした、C-corporation(申告用紙1120)の総数が、1,514,763だったことが分かる。
active c-corporation数は、だいたい150万社で減少が止まり落ち着いた。すなわち、20世紀経済を牽引したeconomic entity, “corporate”が、「主役降板」した。
原田雅樹著、『量子と非可換のエピステモロジー: 数学と物理学における概念と実在』 (Epistemology of Quantum and Noncommutativity – Concepts and Realities in Mathematics and Physics)東京大学出版会 2024年3月28日初版。(試し読みはここ)
去年秋、たまたま書店で見つけ、妙に惹かれ即座に購入した。著者の原田雅樹氏が、カトリック司祭でもあると、後から知った。カトリック聖職者で量子基礎論を研究するひとに、またひとり邂逅した。
本書には、カトリック司祭でありながら神学的議論を夾まない意図が感じられる。淡々と数式、数学概念、物理概念、哲学概念が展開される。しかし著者のカトリック司祭としての「思い」は垣間見える。たとえば2頁目、赤で示した部分にその「思い」が表れている。
なお、存在論(ontology)と認識論(epistemology)は、通常の西洋哲学においては、根幹で対立しあう概念。つまり、本質存在(onto)があるから「私」は在るのか、「私」が認識(epistanai)するから「私」は在るのか、が長く対立している。このことを念頭に置いて、以下読んで頂きたい。
序 2. エピステモロジー
本書は、フランス・エピステモロジーを紹介しつつ、その他の哲学的立場、特に解釈学的現象学との関連性を示し、そこで導入された方法論を20世紀の物理学、数理物理学、数学に適用しようとするものである。エピステモロジーは、存在論に対する認識論を通常は意味する。しかしフランス哲学の文脈では科学史と結びついた科学認識論に近い意味を有し、そう訳されることも多い。ただし、科学史と言っても、科学と政治史ないし社会史の関係を研究する外的歴史ではなく、科学内部の概念の発展史を研究する内的歴史と結びついた科学認識論である。
エピステモロジーとは何であるのか。金森修は、岩波の『哲学思想事典』の「エピステモロジー」の項目で次のように述べている。
〔エピステモロジーは、〕現在ではコントあたりを淵源とするフランスの合理主義的、主知主義的、分析的な科学哲学を指すために使用されることが多い。ただ英米系の論理実証主義が、形式言語による科学理論の論理的再構成を主眼としたのに対して、伝統的に科学史と深い関係を保つという特徴をもつ。個別科学の具体的事実の史的分析をする過程で、科学理論を構成するうえで内容的に原理的重要性をもつと考えられる概念を幾つか抽出する。例えば無限、エントロピー、原子、進化などである。そのうえでそれらの概念が理論内に組み込まれていく際の歴史的文脈を克明に辿りながら、組み込み前後における説明機構の変遷を分析して、当の概念が果たす役割を浮き彫りにする。それは生成過程の科学思考の歴史的分析だといえる。〔……〕エピステモロジーは個人を超える非人格的知識がもちうる存在様態を付随的に明らかにするという意味あいをもつ。それは、超越論的主体による意識的な世界構成を基盤におく現象学的哲学と多くの点で対立する。1960年代にフランス思想界を席捲した構造主義もエピステモロジーとの関連のなかで理解される必要がある。
『哲学思想事典』1993、p.161
私(齋藤旬)の勝手な読みだが、ひょっとしたら原田師は、ontological epistemology(存在論的認識論)といったような概念を提唱しようとしているのではないか。つまり、本質存在(onto)があり、それを「私」が認識(epistanai)するから「私」が在る、といったような考え方を打ち出そうとしているのではないか。(Ngramで調べると、ontological epistemologyという用語の初出は1916年。量子力学が萌芽していく時期。何か関係がありそうだ。)
また、私はカトリックだが物理学が専門で、哲学用語には疎い。なので読解にAI活用が便利。たとえば35頁:
(3)カントによる数学論と哲学の方法
数学における直示的方法 カント(Immanuel Kant, 1724-1804)の哲学は、ニュートン物理学がどうして正当化できるかという問題を射程の一つにおき、それが超越論的演繹を実行する一つの大きな動機となっている7)。カントは、『純粋理性批判』のA版を著した後、そしてB版を著す前に『自然科学の形而上学的諸原理』を著している。ヴュイユマンは『カントの物理学と形而上学』(Vuillemin [1955])で、この二つの著作を関連付けて読み込んでいるが、それは、そのような読解を与えることで、フランスの反省哲学のような、カント哲学に対する極度に観念論的な解釈を避けるためである。
カント哲学では、ア・プリオリな総合判断の上に成立する知に数学といわゆる数理物理学がある。そしてカントは、数学と物理学をはっきりと区別してはいるものの、その間にある深い連関について考えている。ヴュイユマンの『カントの物理学と形而上学』第1章は、カントの物理学と数学について扱っており、その第1節は「直観と存在」と名付けられている。カントは『自然科学の形而上学的諸原理』の中で、特定された自然的諸物に関する純粋自然論は、自然一般に関わる純粋哲学と区別されたものであり、この特定化のためには数学による概念の構成が必要であると述べる。この数学による概念の構成には、直観が深く関わっている。他方、数学によって特定された純粋自然論、すなわち数理物理学は、対象の存在に関わるために、形而上学的諸原理を必要とする(Kant, MAN, カッシーラー版C.347, p.12)。この形而上学的諸原理こそが、構成された数学概念にそれが適用されるための実在的対象を与え、それによって数理物理学を可能にする。
__________
7) カントにおける超越論的演繹とは事実問題ではなく、権利問題に関わり、カテゴリーの客観的妥当性を証明する議論のことである。「カントの言う『演繹』は、帰納に対して演繹と通常言われるもの、すなわち一般的な命題から特殊的な命題を三段論法的な推論によって論理的に正しく導出する手続きを意味するものではない。〔・・・・・・〕カント独特の『演繹』とは、〔・・・・・・〕人間が世界において行う認識や道徳的な行為、美的並びに目的論的な判定といった広義の経験の諸領域における最高の原理を確立する事によって、そうした諸領域を正当化し根拠づけるという哲学本来の課題を果たすために、カントが案出した議論の形式であった」(『カント事典』、p.39)。
カッシーラーの名前は、この部分も含めて全編にわたり9箇所出てくる。このことから、本書が属する哲学をドイツ哲学で分類すれば、ニュートン力学とユークリッド幾何学を基盤とする決定論的Kantian philosophy(カント哲学)ではなく、量子力学と相対性理論(リーマン幾何学)を基盤とする非決定論的Neo-Kantian philosophy(新カント哲学)であることが分かる。何故ならカッシーラーこそが、1937年著書『決定論と非決定論』において、量子力学と相対性理論(リーマン幾何学)を基盤とする非決定論的Neo-Kantian philosophy(新カント哲学)を創始したからだ。
p.p.297-301の「あとがき――登場人物とその周辺、そして痛切な現実」では、著者のカトリック司祭としての側面も垣間見える。そこには、本ブログ記事のタイトルにした湯川秀樹氏の短文も配されている。転記しておく。
真実
現実は痛切である。あらゆる甘さが排斥される。現実は予想できぬ豹変をする。あらゆる平衡は早晩打破せられる。現実は複雑である。あらゆる早合点は禁物である。
それにもかかわらず現実はその根底において、常に簡単な法則に従って動いているのである。達人のみがそれを洞察する。
それにもかかわらず現実はその根底において、常に調和している。詩人のみがこれを発見する。
達人は少ない。詩人も少ない。われわれ凡人はどうしても現実にとらわれすぎる傾向がある。そして現実のように豹変し、現実のように複雑になり、現実のように不安になる。そして現実の背後に、より広大な真実の世界が横たわっていることに気づかないのである。
現実のほかにどこに真実があるかと問うことなかれ。真実はやがて現実となるのである。
昭和16年1月
湯川秀樹『目に見えないもの』(講談社、1977年)より
2025年EoF foundation発足以来、各国支部であるEoF Hubが続々と立ち上がる中、本命と思われるEoF Hub Netherlandsが、今日(20260124)発足する。「本命」というのはこのEoF Hubが、Tilburg Universityという「カトリック経済学」研究に特化した大学が主催するHubだからだ。
実は私(齋藤旬)も、2012年6月、即ちフランシスコ教皇着座2013年の1年前、Tilburg Universityが開催した或るシンポジウムに招かれて一日間だけの講義を行った。
その講義資料を今見返すと、14年間の急激な状況変化により幾つか手直ししたいところも出てくる。しかし、進歩派旗手であるフランシスコ教皇が選出される直前の状況を探るヒントも多い。当時のまま、以下に再掲しておく。
当ブログでは、教皇フランシスコ挨拶など様々なEoF関連資料を半訳し、あちこちにアップしてある。一覧があった方が便利だろう。まとめを作った。活用されたい。(^o^)
| EoF基調論文 2018年1月6日発行 現行経済金融システムの諸相に関しan ethical discernmentするための様々な約因 | 20260108半訳アップ |
| “フランチェスコの経済”開催に向けて 招待状 2019年5月1日発行 | 20230209半訳アップ |
| 第1回EoF教皇メッセージ 2020年11月21日発行 | 20230505半訳アップ |
| 第2回EoF教皇メッセージ 2021年10月2日発行 | 20230620半訳アップ |
| 第3回EoF教皇メッセージ 2022年9月24日発行 | 20230807半訳アップ |
| 第4回EoF教皇メッセージ 2023年10月6日発行 | 20231021半訳アップ |
| 第5回EoF教皇メッセージ 2024年9月25日発行 | 20241130半訳アップ |
| EoF Foundation始動 | 20250201半訳アップ |
| 欧州経済思想史学会(ESHET)- EoF 2025合同セッション “EoF: 経済学の新地平線” | 20250206半訳アップ |
| ESHET-EoF 2025 アブストラクト 書いてみた。 | 20250212半訳アップ |
在位2013年~2025年の教皇フランシスコが著した文献に「契約における約因」という用語、即ち、a term: considerationが最初に使われたのは、英語版 Laudato Si’ (24 May 2015)第195段落の冒頭の文章:
The principle of the maximization of profits, frequently isolated from other considerations, reflects a misunderstanding of the very concept of the economy.
経済という概念そのものの見誤りを反映して、利益最大化原則は他の約因から切り離されることが頻発する。
そして教皇フランシスコは、3年後の2018年1月には、Economy of Francesco基調論文を、
Considerations for an Ethical Discernment Regarding Some Aspects of the Present Economic-Financial System
現行経済金融システムの諸相に関しan ethical discernmentするための様々な約因
・・・というサブタイトルの下に発行した。
教皇フランシスコは、着座が2013年で、Laudato Si’発行が2015年5月、EoF基調論文発行が2018年1月、2020年から2024年は毎年EoF大会を開催した。彼にとってのメインテーマが「経済システムの根本からの刷新」であったことがわかる。
トランプ大統領は、経済という概念そのものを見誤っている。だから彼は利益最大化原則を他の約因から切り離して優先する。money moneyと言い続け、「本来の経済」を破壊し続ける。
私達はそうならないために、幾度も幾度も、EoF基調論文を熟読する必要がある。あらためて、和訳版のEoF基調論文を以下に示す。
Scire Voloの会2026も、オンライン勉強会になります。(ZOOMを予定) 参加される方は事前に私(齋藤)まで連絡ください。追ってURLをお知らせします。
1887年初版、1912年改訂増補版、テンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』。その重松俊明氏による抄訳 河出書房新社1963年初版が、中公クラシックスから先月、新たな解説と索引つきで改版刊行された。カバーと帯を左掲。(全訳は、岩波文庫1957年 杉之原寿一 訳 上下巻がある。)
当ブログのタグ「新たな社会経済システム」の意味を理解する上で必要になる基礎概念の幾つかが、本書によって19世紀終わりに整理された。
中公クラシックス版で新たに付された大澤真幸氏による解説「社会学史上最も重要な概念」は、①テンニエスの略歴、②『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』の要約、③見田宗介氏による概念発展、④大澤真幸氏による仮説的発展、からなる。
そのうち、②『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』の要約、および、④大澤真幸氏による仮説的発展、これらを以下に転記しておく。
②『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』の要約
互いの意志や身体を保持し合う相互肯定的な関係には二つの種類がある。テンニエスはこの様に論ずる。それらがゲマインシャフトとゲゼルシャフトである。ゲマインシャフトとは「有機的な生命体」と見なされる集団であり、ゲゼルシャフトとは「機械的な構成体」と見なされる集団である。
こうしたゲマインシャフトとゲゼルシャフトの違いが、諸個人を結びつけている意志の相異に対応していると見たところに、テンニエスの独創性がある。ゲマインシャフトは「本質意志」に基づいている。すなわち、個人達は、「あらゆる分離にもかかわらず本質的には結合している」。それに対して、ゲゼルシャフトは「選択意志」に基づいている。すなわち、個人達は、「あらゆる結合にもかかわらず本質的には分離している」。もう少しわかりやすく言い換えよう。ゲマインシャフトは、無条件の信頼に満ちた親密な共同生活のことである。それに対して、まずは相互に独立した個人がいて、それらの個人がそれぞれの目的や利害に基づいて選択的(戦略的)に結びついたことで形成される、機械的で、人工物のような集合体がゲゼルシャフトだ。
本訳書に見られるように、「ゲマインシャフト」「ゲゼルシャフト」と、ドイツ語をそのままカタカナで表記して使われるのは、それぞれの概念のニュアンスを正確に伝える日本語がないからである(「共同社会」「利益社会」等と訳されたこともあるが、日本語として不自然な上に、不正確な翻訳。)ちなみに、英語では、ゲマインシャフトが”community”、ゲゼルシャフトが”society”と訳されるのが普通だが、この場合も、ドイツ語の方に本来あった含みがいくぶんか失われている。
テンニエスは、ゲマインシャフトを、「家族(血縁社会)/村落(地縁社会)/都市(友情社会)」の三段階に区分している。それぞれに対応する社会意志は、「民族/自治共同体/教会」である。
ゲゼルシャフトの方は、「大都市/国民/世界」の三段階に区分される。この三段階に対応する社会意志は「協約/政治/世論」だとされ、それらを担う本来の主体は「ゲゼルシャフトそのもの/国家/学者共同体」である。
④大澤真幸氏による仮説的発展
ここから思い切って踏み込んで、さらに次の様に言うことも出来るかもしれない。任意の人間の社会は、ゲマインシャフト性とゲゼルシャフト性を含んでいる、と。ゲマインシャフトとゲゼルシャフトは、排他的な社会の分類というよりも、人間の社会を形成する二つの力のようなものではないか。その中に含んでいる二つの力の配分には多様性があるが、ゲゼルシャフト的な側面を完全に排除したゲマインシャフトもなければ、ゲマインシャフト的な基礎を全くもたないゲゼルシャフトも存在しない。このように考えることも出来るかもしれない、ということをここで仮説的に提案しておこう。
つまり人間社会はゲマインシャフトでもあり、ゲゼルシャフトでもある。この二律背反的な状態が極端に先鋭化して現れるようになったのが近代社会ではないか。一方では、厳密には個人の集合だけがあり、「社会」なる実体はどこにも存在しない、とも言える。しかし、他方では、社会は有機体のようなまとまりを持ち、個人とは独立して存在している「事実」があって、個人の意識や行動を規定している、とも見なしうる。どちらも真実である。この対立的な事象のどちらもが真実であることが明らかになったとき、社会学という知が成熟したのではあるまいか。実際、この二つは、社会学を規定する二つの代表的な方法論的な立場に対応している。
古典的な通常の解説の範(のり)を超え、その後の発展や、さらには仮説的なことまでごく簡単に述べてみた。「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」がいまなお生きた概念であり、発展途上にある、ということを示唆したかったからだ。そして、この発展の根の部分には、テンニエスが若き日に著した本書がある。 (おおさわ・まさち 社会学者)
| 日時 | 2025年11月15日土曜日 13:30 ー 15:30 |
| 場所 | ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。 |
| テーマ | Dilexit Nos 48. -63 対訳 |
配付資料
先月末「エッ、形而上学を、形而下で可能な実験によって検証できる?! これは驚き」と私は書いた。その後ネットを渉猟していて、むしろ、A physical discovery literally removes the cover of metaphysics. つまり「物理学的発見(physical discovery)は、形而上学(metaphysics)の覆い(cover)を取り外す」という様に思い直すキッカケを、或る論文から得た。
それは「カントの実験的⽅法再考–『純粋理性批判』第二版序文における「実験」の射程について」という論文。そこには、
カントが1788年に『純粋理性批判』第二版を出版した動機は、1543年にコペルニクス著『天体の回転について』が出版され、「地動説」が何百年にもわたる喧喧囂囂(けんけんごうごう)の議論を生んだことにある、というようなことが書いてある。実際、「コペルニクス的転換」という用語はカントの造語とのこと。
上掲した1953年初版発行岩波文庫『天体の回転について』の解説「コペルニクス説の反響」(132頁)には、
・・・これはたいしたものだと述べている人が幾らもいるのである。しかし概していえば、反対する人の方が多かった。前者は科学者であり、後者は宗教家または俗人であった。といっても科学者の全部が賛成したわけではない。中にはその説には賛成いたしかねるが、彼はプトレマイオス以来の天文学者だ、という誉め方をしている人もある。いや、こういう人がなかなか多い。宗教家または俗人はその学説を理解して反対したのではない。聖書の教えに反するといって頭から反対したのである。メランヒトンでもルーテルでもカルヴィンでも、みなそうである。これは、学問上の反対論ではないから取るに足りないのであるが、この学説の発展に対しては勿論大きな障碍になった。1615年にはとうとうこの書はローマ法王庁の禁書目録に載せられたのである。・・・とある。
1543年にコペルニクス著『天体の回転について』が出版され、1788年にカント著『純粋理性批判』第二版が出版された。その間約250年。その後の19世紀には、世俗的近代合理主義によるA secular age(世俗の時代)が始まった。
そして今、ベル不等式の破れが実験実証された。即ち、重ね合せ量子状態 |𝜓s⟩にある粒子1と粒子2が持つ可換物理量AとBに関し、演算子をAOpとBOpとして、その2粒子が遠く離れ離れになっても、量子相関⟨𝜓s│AOpBOp│𝜓s⟩ がゼロにならないこと、つまり、光速で伝わる相互作用では説明がつかない非局所相関(nonlocal correlation)があることが確実となった。spooky(不気味)で不思議な現象が確実となった。2022年にはノーベル物理学賞がアスペ、クラウザー、ツァイリンガーの3氏に授与され、新たな実験形而上学問題の議論が再び始まった。この議論が一応の決着を見るには、また250年くらいかかるのだろうか。しかし、それではいつまで経っても本格的なpost-secular(ポスト世俗)の時代が始まらないような…。
20251011追記:“physics discovers metaphysics”とGoogle Geminiに尋ねると、興味深い解説をしてくれる。玉石混淆だが一見の価値あり。
20251014追記:「聖」から「俗」へのシフトであったコペルニクス起点の実験形而上学的変革と、「俗」から「ポスト俗」へのシフトとなるだろうベル起点の実験形而上学的変革とでは、批判者と賛同者の構成が異なってくるのではないか。即ち、上掲「コペルニクス説の反響」抜粋にある様に、大まかにいって、コペルニクス起点の変革では、批判者は宗教家または(聖書記述をそのまま信じる当時の)俗人によって構成され、賛同者は科学者によって構成されたが、これから起きるだろうベル起点の変革ではこの関係が逆転し、批判者は科学者によって構成され、賛同者は宗教者によって構成されるのではないか。いや、さらに大胆に予想すれば、ベル起点の変革で建設的意見を持つ勢力は、科学者宗教者を問わず、不思議な現象の背景に「どういう原理があるのか」「何か理由があるのか」、気になって落ち着かない、解明せずにはいられない、とにかく「面白い」「楽しい」と思う性分の持主たちで構成されていくのではないか。
20251015追記:「ベル不等式の破れ」実証実験は通常、スピン角運動量を使って、|CHSH|<2ではなかった、という具合に説明される。これを含んで更に一般的な説明、即ち、正確ではないが大雑把に言えば「光速を越えて瞬時に伝わるかのように私達人間には見える量子相関」の説明を赤字で付記した。⟨𝜓s│AOpBOp│𝜓s⟩ は、物理量AとBの積の測定期待値を表すが、これが量子相関の表式となりうることは、清水明『新版 量子論の基礎』214頁220頁に説明されている。背理法を使って少し補足すると、「量子論的非局所相関が無い」且つ「光速で伝わる相互作用では同調が間にあわないほど離れ離れ」、つまり、何らの相関もあり得ないとき、物理量AとBがどちらもゼロをはさんで互いにバラバラの値をとり、結局、物理量AとBの積の測定期待値⟨𝜓s│AOpBOp│𝜓s⟩ がゼロになる。
20251018追記:上記にあった可換物理量AiとAiiとその演算子AiとAiiの表記を、可換物理量AとB、その演算子AOpとBOpに変更した。なお、可換物理量AとBは通常、「スピン角運動量の向き(↑、↓)」あるいは「軌道角運動量の方位角」のように同種にとることが多い。また可換であるから、⟨𝜓s│AOpBOp│𝜓s⟩=⟨𝜓s│BOpAOp│𝜓s⟩である。可換物理量AとBを、もつれ光子対が持つ軌道角運動量の方位角θとφとすると、⟨𝜓s│AOpBOp│𝜓s⟩=⟨𝜓s│BOpAOp│𝜓s⟩=cos(θ-φ)となる。この「量子相関=cos(θ-φ)」を実験で実証した論文「Imaging Bell-type nonlocal behavior」は、「スピン角運動量を使って|CHSH|<2ではないと実証する」論文よりも格段に分かりやすい。量子基礎論の学界でもっと採りあげてほしいと思い特記した。