投稿者「junsaito」のアーカイブ

clm.270:beingとexistence

前回コラムで、realityにはa naive realityとhidden realitiesがあることを説明した。同様に、人間存在にも二様ある。a naive realityにおける人間存在(a human existence)と、hidden realitiesにおける人間存在(a human being)。大まかに示すためにとりあえず図にしてみた。これも、考えが整理できたら小文を書く予定。宜しかったらご覧下さい。

20210501追記:フランシスコ教皇が2015年訪米した際行ったreligious libertyに関する論考の第6段落にあるthe transcendent dimension of human existence。意味するところを私はこの様にとらえている。

20210503追記:beingの意味を英辞郎で調べると、3番目に「本質」が出て来る。ここでは「本質存在」と訳してみたい。existenceの方は、「地上世界的存在」「俗世存在」あたりがいいかな? あるいは、beingを「形而上存在」、existenceを「形而下存在」、と和訳するのもいいかもしれない。

20210503追記:そうすると教皇の新カテケーシス「この地上世界を癒すために その2」にある:
The human being, indeed, in his or her personal dignity, is a social being, created in the image of God, One and Triune.  は、
人間の形而上存在はまさに、his or her personal dignityの中にあって、三位一体の神の似姿に創られた、(形而下界に)社会を構築する形而上存在です。  と半訳できるかな。

clm.269:reality構成図

“structure of reality”とググると、出るわ出るわ、Springer, Oxford, Cambridge,,,と名うての学術出版がテキストを出している。これに習って私もまだメモ書き程度だが、reality構成図を書いてみた。

頭の中を整理するために書いたので、説明は無し。考えがまとまってきたら小文を書く予定。宜しかったらご覧下さい。(^o^)

20210422追記:フランシスコ教皇の言う religions in dialogue with science が「科学という共通言語で対話する諸宗教」という意味だと思うのは、私の頭の中がこう整理されているからかな。(^_^;)

キュウリ苗植え替え

キュウリの苗を植え替えた。種から育てた苗は寒さにやられたのか根づかなかった。「つよし」という頼もしい苗を植えてみた。頑張れ! つよし。(^o^)

clm.268:サイエンスとは…

scienceとは何か? 説明を求められることが多くなってきたので私の考えを短くまとめておく。scienceとは、realityをunderstandするための反証可能な仮説検証作業。

前半は、フランシスコ教皇が使う英語表現で、後半は、カール・ポパーが使う用語となっている。カール・ポパーの用語も英語表現を示しておく。
反証:contrary evidence
反証可能:falsifiable ← 「誤りだったと認めることが可能」という意味
仮説検証:hypothesis test

つまり、色々な仮説(あるいは命題、主張、公理)を立ててはその真偽を検証するために実験を継続的に行いrealityをunderstandしていく。これがscienceの「定義」だと私は考えている。

「反証可能」とは、ある仮説(あるいは命題、主張、公理)に反する事実(あるいは証拠)、つまり「反証」が、もしも確認されたならば、その仮説(あるいは命題、主張、公理)がfalse(偽)であることを認めることが可能、ということ。例えば、万有引力の法則(the law of universal gravitation)という仮説(あるいは命題、主張、公理)には今のところ「反証」は見つかっていないが、もし見つかったならば、万有(universal)については取り下げる用意があるということ。「まちがってました。ゴメンナサイ」と謝る心の準備は出来ているということ。

scienceと宗教の違いについても質問されることがあるので、私なりの考えをメモしておく。両者はとても似ている。どちらも目的はrealityをunderstandすること。違いは、当該仮説(あるいは命題、主張、公理)が意味するところの「深遠さ」。

例えば量子論の公理系の意味するところは、物理学を学べばそれなりにconceive(捕捉)出来る。しかし例えば「神」の意味するところは、汲めども尽きぬ井戸のようで、「心」では何となく分かるが「頭」では「分かった!」と言いきることが出来ない。conceive出来ない。従って反証探しに至らない。(20210416追記:conceivabilityは人によって異なるかもしれない。例えば神をハッキリとconceive出来る人もいるかもしれない。マッ、私には今のところ当てはまらないようだが…。)

けれども、scienceも宗教も、realityのphenomena (様々な現象)をそれなりに上手く説明できる。

いまのところ私はこの様にscienceと宗教をundertstandしている。