新たな社会経済システム」タグアーカイブ

IRS IBD 2013発行を受けてグラフを更新

米国産業利益の半分はpartnershipが稼得

米国IRS SOIが、IBD Table1を2013dataまでupdateしていました。これに合わせてグラフを幾つかupdateし~archivesの「資料・グラフ」にアップしました。相変わらず、米国産業利益の半分はpartnershipが生み出していますし、費用対効果においてpartnershipはcorporateの約2倍の12%程度を示しています。

分科会 2018#1 開催通知

 今年は、左記勉強会のうち赤枠で示した「分科会」の講師を担当することになりました。奇数月第三土曜日の午後、全五回/2018年、年間テーマ「教皇フランシスコの思想の核心:Justiceだけでは足りない」。

第一回は、テーマ「社会規範の拡張」を取り上げます。1980年に当時の教皇ヨハネ・パウロ二世が出した「Is justice enough?」(正義で足りるのか?)という質問に、現在のローマ教皇フランシスコがどう答えるのか、そして、どの様な考えの下にそう答えるのか、ひもといていきます。

~archivesの「勉強会」の欄に、開催通知と第一回配付資料をアップしました。参加ご希望の方は、資料をダウンロードし良く読んだ上、参加の旨を私(齋藤旬)まで通知してご参加ください。

日時2018年3月17日土曜日 13:30-15:30
場所東京都 新宿区 信濃町 33 -4 カトリック真生会館 1Fホール
テーマ社会規範の拡張 Is justice enough?

2018 Davos会議 冒頭挨拶 教皇フランシスコ

表記資料を~archivesの「半訳」にアップしました。Stiglitzの2017年注目論文:Markets, States and Institutionsを参照し、その論旨:「国家(States)と市場(Markets)という枠組み内の制度整備(institutional arrangement)では納まりきらない経済文化圏がemerge(唐突に顕在化)してきており、そこへのundersupplyにより格差が拡大している。従来型、あるいはWashington Consensusに沿った“improve markets” and “increase resources”ではこの問題を解決出来ない。」を踏まえて、カトリックとしての現状把握と対処法の骨子:「the human personのdignityをsafeguardすること」を述べています。

freedomの本質を巡るlibertarianismとdistributismとのbattle

表記資料を~archivesの「半訳」にアップしました。先週、「freedomに制限を与えるmoral responsibilityを、重視するdistributismと重視しないlibertarianismの違い、に改めて気付きました。この説明には、二つの「ism」について説明が必要になるので、それはまた別の機会にします。」と書いたのですが、これに関し簡潔な説明を見つけました。distributismに関する2015年発刊の最新教科書:Catholic Economics — Alternatives to the Jungleです。この中の第15章第二項:Freedom、を半訳しました。この教科書全体も、おいおい半訳していきます。

Bitcoinの本質を巡る三つ巴の闘い

表記資料を~archivesの「半訳」にアップしました。The New Radicalというドキュメンタリー映画が昨年11月にSundance賞を受賞し、speech:Battle for the soul of Bitcoin(Bitcoinの本質を巡る三つ巴の闘い)を映画監督が行いました。この半訳です。感じたことは二つ。一つは、Bitcoin創成の現在進行中Battleの壮絶さ。この壮絶さを知らない日本人は、決してBitcoin等に手を出してはならない。手を出せば、今回のコインチェック事件のように手酷い目に遭う、ということ。もう一つは、このspeechに直接は出てこないのですが、「freedomの本質を巡るlibertarianismとdistributismとのbattle」といったような事柄。freedomに制限を与えるmoral responsibilityを、重視するdistributismと重視しないlibertarianismの違い、に改めて気付きました。この説明には、二つの「ism」について説明が必要になるので、それはまた別の機会にします。

コラム243 「律法全体はこの二つの掟に基づいている」

~archivesのコラム欄に「律法全体はこの二つの掟に基づいている」をアップしました。the public sphereの社会公理系の起源について述べてみました。また、ライプニッツによる「共通善」の定義も載せておきました。「human understanding(人知、人間知性)を超越しながらもeach personによるdiscernmentによってcommonにsenseできる「善」の概念」。これはツーソン会議の参加者などに浸透した定義です。共通善の定義は、WikipediaにThe concept of the common good differs significantly among philosophical doctrines.[1] とあることからも分かるとおり実に様々ですが、このライプニッツによる定義が私には一番シックリきます。

勉強会開催通知(#5)

第五回勉強会を開催します。開催通知を~archivesに置きました。

日時2018年2月17日土曜日 16:00-18:00
場所永福和泉地域区民センター 第5集会室 杉並区和泉3-8-18 井の頭線永福町駅徒歩5分
テーマ新幹線台車ヒビ割れ問題の根本的原因は、ガバナンス?規律?遵法精神?指揮命令系統?
否、「そんなこと言っている場合じゃない」という「はみ出し者」がいなくなったのが根本的原因では。

 

2018年10月 Youth Synod、教皇フランシスコからyoung peopleへの手紙

表記資料を~archivesの「半訳」にアップしました。教皇フランシスコは、2013年3月に着座してから矢継ぎ早に幾つもの重要論文を著し「根本的改革」を経済問題、環境問題、倫理問題に求めました。従来のutilitarianism(功利主義)の倫理や価値観でなく、「共通善」と「each personの尊厳」を土台にした全く新しい考え方の上に、経済や倫理を再構築せよと発言しました。この大改革の担い手に、旧枠組みに縛られた大人達でなくYoung Peopleを教皇は指名した、というのがこの手紙の主旨です。「Young People, the Faith, Vocational Discernment」をテーマにして今年は3月にプレ・シノドス、10月にシノドスが開催されます。関連文書、関連記事を幾つか拾って半訳し、今年一年間この動きを追っていきます。ご期待ください。

ちなみに当サイトの読者なら「Young People, the Faith, Vocational Discernment」をどう半訳されますか?関門の一つは、the Faithの定冠詞theです。またVocational Discernmentを「召命の識別」と訳すのは、教皇の日々の発言から推して不適切です。Young Peopleを「若者」と訳すのも頂けません。テーマ「Young People, the Faith, Vocational Discernment」の上手い訳を思いついた方はjunsaito@eml.llc-research.jpまでお寄せください。

本年もよろしくお願い致します。

 

米国契約法における「約因相当性の不審査」

表記資料を~archivesの「半訳」にアップしました。「約因相当性の不審査」とは、交換取引される価値の不均衡を米裁判所は審査しない、即ち、契約当事者間合意つまり約因(considerration)があれば何と何を交換取引しようが国家司法は干渉しない、ということ。日本人の感覚では奇異に感じるかもしれませんが、これこそが「freedom of contract」の最も大きな特徴です。ちなみに「liberty of contract」では国家司法が交換取引される価値の不均衡に干渉します。つまり日本人が知っている「契約の自由」とは「liberty of contract」であって「freedom of contract」ではないのです。

アンドレア・モンロー:税制におけるIntegrity(partnership税制再考)

表記論文の結論部を半訳し、~archivesの「半訳」にアップしました。自然法派の法哲学者Ronald Dworkinが提唱するIntegrity of Law(法の純一性)を備えてこそ、”simplicity, flexibility, and equity as between the partners”という価値観を持った本来のPartnership Taxationが得られる、という主張です。著者はPartnership Taxationのメッカ、NYU出身のアンドレア・モンローです。このほかにも幾つかの関連論文を著しています。今後も新しい論文を出していくでしょう。注目していきます。