第三章「現代の文脈に関して解明できた幾つかの事柄」は、第18節~第33節でなるが、その第21節までを半訳し、rev6aとしてアップした。全34節の内の第1節から第21節、全体の5分の3、つまり、7月20日の今年第三回目の勉強会の分まで半訳できた。
実生のシャリンバイ
さくら2024
clm.312:実数量子|x>の三様の波束の収縮
またまた、「実数全体が二乗値としてbeingしているのでは」シリーズの続き。以下の様な図を書いてみた。言わんとすることは、じっくり見ていただければお分かり頂けると思う。
一つ気付いたことがある。それは、複素数単位 eiθ、四元数単位 eiθ+jφ+kψ 、八元数単位 exp(Σekθk) の三つは、量子論でいう所の「同時固有状態(simultaneous eigen state)」であるということ。
「実数物理量A,Bに対応するエルミート演算子A,Bが可換であるとき、即ちAB–BA=0であるとき、実数物理量A,Bを同時に成り立たせる共通の固有量子状態が必ず存在する」という量子論の定理がある。この定理の証明は、例えばこの記事を参照されたい。
今の例で言えば「任意の実数A,Bは、積に関して可換であるので、実数全体に共通に成り立つ同時固有状態がある。」ということ。
私達の多くは、同時に実数全体を同じく認識できる。これを当然と思っている。3は3だし、2は2だ。ほとんどの場合、人により認識にズレが生じる、なんてことはない。が、その根本には深遠な自然原理が隠されているようだ。
20240502訂正加筆:数値認識が難しい算数障害(ディスカルキュリア、dyscalculia)の人達への配慮に欠けていた。ゴメンナサイ。訂正してお詫び申しあげます。dyscalculia の原因究明・医療研究に、上記ヒントが少しでも役立てばと願う…。
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白富士2024
ダイコンと煙突
分科会2024#1 (3月16日) 開催通知および配付資料
日時 | 2024年3月16日土曜日 13:30 ー 15:30 |
場所 | ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。 |
テーマ | EoF基調論文「Oeconomicae et pecuniariae quaestiones 現行経済金融の問題点」精読 第1節~第9節 今の時代を生きる私達は、それぞれの人間ペルソナの限られたvisionしか示していない。 |
配付資料
“Oeconomicae et pecuniariae quaestiones” – 現行経済金融の様々な問題点、第二章の最終段落の訳を修正
第二章「根本となる様々な約因」の大事な結論部である最終段落の訳を、以下の様に大幅に修正し、他の段落にも手直しを加え、rev4としてアップした。
大幅修正:最弱者達のための部屋を持つ思いやりと包摂が住まう所としてのa society。それは、the benefit of all(各自全員の形而上益)のために富が使われる場です。またthe benefit of allとは、human beings(諸々の人間形而上存在)が心楽しく生活し容易に希望を持てる数々の場です。そういったa societyを構築するはずの彼自身・彼女自身はカヴァーで覆(おお)われ、儘(まま)なりません。このカヴァーをthe human person(それぞれの人間ペルソナ)が取り外し、自分自身を見いだし、社会構築に取りかかる。これを受容できるのは、私達が受け継いできた豊かな価値観しかありません。ですから、humanityをこのように自発的に再生し、私達が受け継いできた豊かな価値観に向かう幾つもの展望を再開することが、何よりも必要とされているのです。
なお、consideration(約因)に関する解説(日本語)は、日本には数人しかいない英米法学者による専門的なものは幾つか見つかるが、非専門家が書いたものは最近まで無かった。しかし、ネットを渉猟したところ、或る翻訳事務所が書いた「約因(Consideration)について」という記事を見つけた。
この記事の優れた点は「約因の相当性(adequacy of consideration)は問われないので、対価は必ずしも等価値である必要はない」と、所謂「約因の相当性の不審査法理」を述べた点。悪い点は、未だに西洋社会の法律を英米法と大陸法に分類している点。21世紀初頭からpost-secularization(ポスト世俗化)が本格化した欧米社会は、急速にlegal convergenceを進めている。
とはいえ、副題を「現行経済金融システムの諸相に関しan ethical discernmentするための様々な約因」とした本論考を読むには、consideration(約因)に関する知識は必修項目だと思う。
20240220追記:再び、第二章「根本となる様々な約因」の大事な結論部である最終段落の訳を、以下の様に修正し、他の段落にも手直しを加え、rev4aとしてアップした。
再修正:最弱者達のための部屋を持つ思いやりと包摂が住まう所としてのa society。それは、the benefit of all(各自全員の形而上益)のために富が使われる場です。またthe benefit of allとは、human beings(諸々の人間形而上存在)が心楽しく生活し容易に希望を持てる数々の場です。そういったa societyを構築するはずの彼自身・彼女自身はカヴァーで覆(おお)われ、儘(まま)なりません。このカヴァーをthe human person(それぞれの人間ペルソナ)は取り外せますが、これをpermit(許可)できるのは、私達が受け継いできた豊かな価値観しかありません。ですから、humanityのこのような自発的再生を率先して行い、私達が受け継いできた豊かな価値観に向かう幾つもの展望を再開させ、そういったa societyを構築することになります。即ち、この様なan initiative(或る自発的率先)が何よりも求められているのです。
1958年ハイゼンベルク、無冠詞realityとは何か、驚くべきdiscover(カヴァー取り外し)
無冠詞realityに「ヒルベルト空間+実空間」あるいは「形而上界+形而下界」という意味を持たせたのは、1958年のハイゼンベルクだと分かったのでメモしておく。
ハイゼンベルクは、1955年から1956年にかけてスコットランドのSt. Andrews大学で、「宗教と科学」の研究で有名なGifford講演の講師を務めた。その内容を1958年に「Physics and Philosophy」(原英文)という書籍にまとめた。この書籍は、翌年の1959年には日本語訳がみすず書房から出版され、更にその新装復刊が去年9月に出版された。(左掲)
訳者あとがきには「リアリティ・・・この言葉は通常、現実性とか実在性などど訳されていると思うが・・・強いて日本語をあてることを止め、そのままにした」「(意味は)本書を読んでいくうちに次第にはっきりするはず」とある。
「Physics and Philosophy」(原英文)の第一章「An Old and a New Tradition」から、ハイゼンベルクが言わんとすることを最も表していると思う一文を抜き出すと:
…the change in the concept of reality manifesting itself in quantum theory is not simply a
continuation of the past ; it seems to be a real break in the structure of modern science.
「拙訳」:量子論の中に顕れた無冠詞reality概念の変化は、過去の単純な延長上にはない。
それは、現代科学の構造の中に本当の断絶をもたらしたように思える。
約70年前にハイゼンベルクが見つけた「無冠詞realityとは何か、調べていくうちに得られた、驚くべき真相の一つ」はその後、科学だけではなく哲学・宗教・社会思想,,,そして「人々の意識の中」に定着し、この形而下界の社会構造を大きく変えていく,,,と私は期待したい。