半訳」カテゴリーアーカイブ

2018 Davos会議 冒頭挨拶 教皇フランシスコ

表記資料を~archivesの「半訳」にアップしました。Stiglitzの2017年注目論文:Markets, States and Institutionsを参照し、その論旨:「国家(States)と市場(Markets)という枠組み内の制度整備(institutional arrangement)では納まりきらない経済文化圏がemerge(唐突に顕在化)してきており、そこへのundersupplyにより格差が拡大している。従来型、あるいはWashington Consensusに沿った“improve markets” and “increase resources”ではこの問題を解決出来ない。」を踏まえて、カトリックとしての現状把握と対処法の骨子:「the human personのdignityをsafeguardすること」を述べています。

freedomの本質を巡るlibertarianismとdistributismとのbattle

表記資料を~archivesの「半訳」にアップしました。先週、「freedomに制限を与えるmoral responsibilityを、重視するdistributismと重視しないlibertarianismの違い、に改めて気付きました。この説明には、二つの「ism」について説明が必要になるので、それはまた別の機会にします。」と書いたのですが、これに関し簡潔な説明を見つけました。distributismに関する2015年発刊の最新教科書:Catholic Economics — Alternatives to the Jungleです。この中の第15章第二項:Freedom、を半訳しました。この教科書全体も、おいおい半訳していきます。

Bitcoinの本質を巡る三つ巴の闘い

表記資料を~archivesの「半訳」にアップしました。The New Radicalというドキュメンタリー映画が昨年11月にSundance賞を受賞し、speech:Battle for the soul of Bitcoin(Bitcoinの本質を巡る三つ巴の闘い)を映画監督が行いました。この半訳です。感じたことは二つ。一つは、Bitcoin創成の現在進行中Battleの壮絶さ。この壮絶さを知らない日本人は、決してBitcoin等に手を出してはならない。手を出せば、今回のコインチェック事件のように手酷い目に遭う、ということ。もう一つは、このspeechに直接は出てこないのですが、「freedomの本質を巡るlibertarianismとdistributismとのbattle」といったような事柄。freedomに制限を与えるmoral responsibilityを、重視するdistributismと重視しないlibertarianismの違い、に改めて気付きました。この説明には、二つの「ism」について説明が必要になるので、それはまた別の機会にします。

2018年10月 Youth Synod、教皇フランシスコからyoung peopleへの手紙

表記資料を~archivesの「半訳」にアップしました。教皇フランシスコは、2013年3月に着座してから矢継ぎ早に幾つもの重要論文を著し「根本的改革」を経済問題、環境問題、倫理問題に求めました。従来のutilitarianism(功利主義)の倫理や価値観でなく、「共通善」と「each personの尊厳」を土台にした全く新しい考え方の上に、経済や倫理を再構築せよと発言しました。この大改革の担い手に、旧枠組みに縛られた大人達でなくYoung Peopleを教皇は指名した、というのがこの手紙の主旨です。「Young People, the Faith, Vocational Discernment」をテーマにして今年は3月にプレ・シノドス、10月にシノドスが開催されます。関連文書、関連記事を幾つか拾って半訳し、今年一年間この動きを追っていきます。ご期待ください。

ちなみに当サイトの読者なら「Young People, the Faith, Vocational Discernment」をどう半訳されますか?関門の一つは、the Faithの定冠詞theです。またVocational Discernmentを「召命の識別」と訳すのは、教皇の日々の発言から推して不適切です。Young Peopleを「若者」と訳すのも頂けません。テーマ「Young People, the Faith, Vocational Discernment」の上手い訳を思いついた方はjunsaito@eml.llc-research.jpまでお寄せください。

本年もよろしくお願い致します。

 

米国契約法における「約因相当性の不審査」

表記資料を~archivesの「半訳」にアップしました。「約因相当性の不審査」とは、交換取引される価値の不均衡を米裁判所は審査しない、即ち、契約当事者間合意つまり約因(considerration)があれば何と何を交換取引しようが国家司法は干渉しない、ということ。日本人の感覚では奇異に感じるかもしれませんが、これこそが「freedom of contract」の最も大きな特徴です。ちなみに「liberty of contract」では国家司法が交換取引される価値の不均衡に干渉します。つまり日本人が知っている「契約の自由」とは「liberty of contract」であって「freedom of contract」ではないのです。

アンドレア・モンロー:税制におけるIntegrity(partnership税制再考)

表記論文の結論部を半訳し、~archivesの「半訳」にアップしました。自然法派の法哲学者Ronald Dworkinが提唱するIntegrity of Law(法の純一性)を備えてこそ、”simplicity, flexibility, and equity as between the partners”という価値観を持った本来のPartnership Taxationが得られる、という主張です。著者はPartnership Taxationのメッカ、NYU出身のアンドレア・モンローです。このほかにも幾つかの関連論文を著しています。今後も新しい論文を出していくでしょう。注目していきます。

教皇フランシスコの説教:画一化による独裁がfreedom of conscienceを破壊する

表記を~archivesの「半訳」にアップしました。freedom of conscience(良心の自由)という概念は、1517年に宗教改革を始めたマルティン・ルターが発明しました。500年経ち、カトリック教皇がその言葉を使って、「独裁」とは何か、その対処法は何か、説明しています。500年前、ルターの宗教改革に呼応してカトリック内部からもcounter reformation(対抗宗教改革)が始まりました。この対抗宗教改革の主な担い手が、1534年に設立されたカトリックのイエズス会です。イエズス会から選出されたカトリック教皇フランシスコが、freedom of conscience(良心の自由)という言葉を使ったのです。カトリック自体の宗教改革がいよいよ本格的に始まったのかもしれません。

『倫理観:カトリックの視点』序文 by Alasdair MacIntyre 半訳rev.1

表記を~archivesの「半訳」にアップしました。西洋倫理は、徳倫理→功利主義倫理→徳倫理と推移してきています。即ち、13世紀にトマス・アクィナスがニコマコス倫理学(アリストテレス)にキリスト教要素を加味してvirtue ethics(徳倫理)を形作り、近代合理主義の訪れと共に功利主義倫理が主流となり、20世紀後半からポスト世俗化の潮流が押し寄せると共に再び徳倫理が目覚ましい復活を遂げつつあります。この徳倫理復活の経緯をカトリックの視点からまとめたのが本書であり、それをまた二頁の序文にまとめたのがアラズデア・マッキンタイアです。この序文に詳細な訳注をつけて半訳しました。徳倫理復活の経緯をザッと掴むのに最適な資料だと思います。