量子論」タグアーカイブ

clm.302:覆いの下のrealityをのぞき見る

無冠詞realityとは何か。物理学者が一般向けに解説したテキストの出版が続いている。ペンローズ、ロベッリ、グリーン・・・。その中でもこの本、Ten Keys to Reality『仮題:realityへの10個の鍵』は、著者・内容共に「白眉」かもしれない。

2004年ノーベル物理学賞を受賞し、2008年には形而上界での存在(being)を論じたThe Lightness of Being『物質の全ては光』を出版したフランク・ウィルチェックが、2021年1月に出版したこの本は、小さい頃はカトリック教育を受けたという彼の生い立ちも相まってか、宗教と科学のバランスがとても良いように私は感じる。

現に、「宗教におけるノーベル賞」と言われるテンプルトン賞を、2022年5月に受賞した。

受賞を記念してL.A.Times誌がこの5月にインタビューした記事を見つけた。本の内容を垣間見るには絶好と思うので半訳した。宜しかったらご覧下さい。

分科会2022#1 (3月19日) 開催通知および配付資料

日時2022年3月19日土曜日 13:30 ー 15:30
場所(東京都 新宿区 信濃町 33 -4 カトリック真生会館 1Fホール)
ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。
テーマ peopleとは何か

配付資料

Loader Loading...
EAD Logo Taking too long?

Reload Reload document
| Open Open in new tab

Download [1.36 MB]

Loader Loading...
EAD Logo Taking too long?

Reload Reload document
| Open Open in new tab

Download [1.22 MB]

神と人間との協働

コラム288「a co-produced naive reality」と似た考え方を見つけたのでメモしておく。

それは、神と人間との協働。一昨年フランシスコ教皇によって列聖されたジョン・ヘンリー・ニューマン(1801-1890)の信条を表すことば。

詳しくは、~ARCHIVESの資料・グラフにアップした記事を読んで頂きたいが、私なりに要約すると:

ニューマンが生きた19世紀西洋は、a secular age(世俗の時代)が次第に隆盛となっていく時期。salvation(救済)に必要なのは、①人間のthe world(この地上世界)における努力だとするペラギウス的考え方と、②人間は根本的に堕落しているので、神の恩寵に頼るしか道は残されていないというジャンセニズム的考え方との、二つがするどく対立しはじめた。

こうした中ニューマンは、独自の第三の考え方を開いた。つまり、③神の恩寵に信頼しつつも人間の自由意志で出来うる限りの努力を積み重ねることが重要だと考えた。神と人間との協働。

この考え方、コラム288「a co-produced naive reality」で示した考え方と似ている…。

分科会2021#5 (11月20日) 開催通知および配付資料

日時2021年11月20日土曜日 13:30 ー 15:30
場所(東京都 新宿区 信濃町 33 -4 カトリック真生会館 1Fホール)
ZOOMによるオンライン勉強会を予定。参加を予定する方は私(齋藤)までお知らせ下さい。
テーマ教皇フランシスコの思想 新カテケーシス「この地上世界を癒すために」  英語版の精読
9. Preparing the future together with Jesus who saves and heals

配付資料

QIM VI(量子情報計測 第6回)古澤明氏講演

OPTICA(旧名OSA、米国光学学会)主催、QIM (量子情報計測)第6回が、オンラインで11月1日から5日開催されている。古澤明氏の講演:「量子テレポーテーションによる大規模量子コンピューティング」11月2日20:00-21:20(日本時間)を聴講した。

Time-domain multiplexed one-way quantum computation is a method to overcome the problem of scalability of quantum computers. I will talk about the recent progress toward the realization of large-scale fault-tolerant universal quantum computers.

訳:時間領域多重の一方向量子計算は、量子コンピュータのスケイラビリティー問題を解決するための一手法である。誤り耐性のある大規模汎用量子コンピュータの実現に向けて、最近の研究成果を報告する。

・・・実用的な量子コンピュータの原理が完成し、実験実証が間近だと感じた。

研究成果をまとめた、言わば「光の量子コンピュータ教科書」が『Optical Quantum Computers — A Route to Practical Continuous Variable Quantum Information Processing』として近々AIP Publishingから出版されるとのこと。待ち遠しい!

clm.290:『サイエンス炎上』

Harvard UPから興味をそそる本が出ていることを見つけた。Science under Fire(サイエンス炎上)、Andrew Jewett著、2020年12月刊。買おうかどうか迷っている。とりあえず、descriptionを半訳しておく。


科学専門家や科学エリートに対する猜疑心をアメリカ人は長年にわたり持っている。即ち、科学がアメリカ文化を破壊する力を持っていると多くのアメリカ人が今も昔も感じている。理由は何か? 本書は新たな歴史観で説明する。

科学が権威を持つこと自体あり得ないと感じているアメリカ人は少なくない。保守派の多くは、気候変動とダーウィニズムをリベラルなフィクションであるとして却下し、”tenured radicals“(終身在職権を得た急進派の大学教授達)が保身のために科学や関連分野を取り込んでいるだけだと主張している。一方の進歩派、特に大学関係の進歩派には、科学を客観的中立的だと礼賛する者は、実はその人が持つヨーロッパ中心主義と家父長制価値観への愛着をただ覆い隠しているだけではないか、と懸念する意見もある。気候変動の含意と、バイオテクノロジーからロボット工学はたまたコンピューティングまでの分野における華々しい技術革新との対比を考察するためには、科学が持つ権威が、どのように機能するのか、今までどこで政治と文化の障壁に衝突してきたのか、理解することが極めて重要だ。

本書Science under Fire(サイエンス炎上)は、the United Statesにおいて科学がその文化にどの様な影響をもたらしたのかをめぐる論戦の模様を一世紀にわたって再構築する。そして著者Andrew Jewettは、或る批判の永続流が存在することを顕わにする。即ち、中立の覆いをまとった科学者達が誤った社会哲学をthe nationの血流に注入した、とする批判の永続流があることを明らかにする。この嫌疑は様々な形をとる。社会的、政治的、神学的見解の幅広い範囲に様々な批判となって現れてきた。しかしその全てに共通しているのは、或る種のイデオロギーに歩み寄った科学が一連の病的社会状況を生み出したという主張だ。 科学に関するこの様な嫌疑が、1920年代以降のアメリカの政治と文化の中に、様々な形をとりながらどの様に発展し爪痕を残したのか、Jewettはその航跡を追う。そして科学に関するこの様な嫌疑が、今も昔もアメリカの政治と文化における主要な力であることを示す。

科学をめぐる論争の現在の様相を見てJewettは、citizens and leadersがとるべき議論の方向を示す。即ち科学は、一方では純粋で価値中立的な知識形態だとする素朴なイメージがあり、他方では科学者達が主張する真実を装った単なるイデオロギーだとする見解があるが、その中間に議論の方向をとるべきだとJewettは考えている。

clm.289:科学はpeopleをつなぐ最良の言語

米国光学会(OSA)の機関誌(OPN)2021年9月号を読んでいて目にとまったのでメモしておく。

学会長、台湾出身のコンスタンス チャン-ハスナインの巻頭言。「私は常にこう考えています。科学はpeopleをつなぐ最良の言語、科学者は諸文化にかかる最良の橋だと」。左のアイコンをクリックすると全文を読める。

フランシスコ教皇の言葉づかいとソックリ。コンスタンス(節操)と言う名前からして彼女はカトリックのひとかもしれない。彼女はまた、OSAを米国に留めるのでなく国際学会OPTICAにしようと規約などの改訂を進めている。

この言葉を聞いて私は、日頃からの思い:「ポスト世俗(postsecular)の社会思想の基礎は、再びのsacred(聖)ではなく、形而上学(metaphysics)に歩みを進めたscience。」 これを強めた。

20211003追記:peopleの定義を、フランシスコ教皇はLet Us Dreamの第3章で詳細に述べている。その最初は:
   What does it mean, to be “a people”?   It is a thought category, a mythical concept, not in the sense of a fantasy or a fable but as a particular story that makes a universal truth tangible and visible. (79page, kindle No.1154)
   “a people”であるとはどういう意味でしょうか? それは思想の範疇に属します。或る種の神話的概念、しかしおとぎ話やファンタジーではなく一つの普遍的真実を、手に触れ目に見えるものにするために特別なstoryを描く者達です。
・・・教皇の博士論文の用語を使えば、「形而上界の知見を、形而下界で知覚する/しようとする者達」といえるだろう。

clm.288:a co-produced naive reality(共作素朴現実)

前コラム「amorphose cryatalline論争」は、科学と宗教にまたがる問題であり、やはり簡単には決着しないようだ。現時点での私の考えを「reality構成図 rev.3」にまとめてみたのでアップしておく。(ちなみに、前コラムのURLは、battle-over-amorphous-crystalline-is-still-going-on)

キーポイントは、宗教的hidden realitiesと科学的hidden realitiesとの双方から遷移(transition)が行われる中で、このa naive realityが作られているのではないか、としたこと。

すなわち、communion(霊的交わり)と波束の収縮(reduction of wave packet)の二種類の遷移によって、私達がその中にexistしているというdata(感覚与件)を受けとっているこのa naive reality、則ちこのa tangible and visible reality(触れること見ることができる一つの現実)が「共作」されているのではないか。

こうだとすると「存在の二様:beingとexistence」の図も修正する必要がでてくる。しかしそれは、「二様ある」と言う大筋に変更を加えるものではないので、もう少し考えてからにしたい。

reality構成図、(果てなく?)考察途中だが、アップしておく。科学者は、宗教者の直観を「検討の俎上」に必ず載せる。自分の特徴を忘れないようにしようと改めて思った。

20210925追記:reality構成図でのa naive realityの説明を、a partly crystalline and partly amorphous reality(部分的に結晶質で部分的に非晶質な或る一つの現実)と変更してrev3.1とした。

clm.287:amorphous crystalline論争は決着していると思うが…

amorphous crystalline論争は、量子コンピュータ実証実験(コラム267)により決着していると私は思うが、保守派からの反発はまだ続くかもしれない。

例えば、保守派が勢力を持つ米カトリック司教団と米国聖公会が1999年に出した文書に、”The gift of communion from God is not an amorphous reality but an organic unity that requires a canonical form of expression”.(神からのcommunionの賜りはan amorphous realityではない。それはa canonical formで必ず表現されるan organic unityである。)とあったのをみつけた。

”amorphous reality” +”pope francis”でググると、フランシスコ教皇がan amorphous realityについて言及しているサイトを多数見つけることが出来るが、上記の様な「保守派からの反論」も多数見つかる。

この件に関しては科学的には一応の決着を迎えたと思うが、反論は常に歓迎される。

ただこの件(科学的な一応の決着)に関しては、今後は両意見の間で、教皇の言うdialogue with scienceが進むことを期待したい。つまり双方が、explicit specification of conceptualization(概念の明示的仕様)を提示し合う努力を続けるなかで、議論を進めていって欲しい。でないと、反証を提示することも反証を検証することもできず、科学の側面からは議論が先へ進まない。

私達がその中にexistしていると感じている、この a tangible and visible realityを含むrealityの全容の解明に、見果てぬ夢かと思いつつも希望を持ってchallengeする。宗教も科学もアプローチの仕方は違えどこの目的を共有している。お互いの方法を尊重し合って解明を進めたい。

20210922追記:私自身が科学者と宗教者の両側面を持つので推敲に時間がかかっている。このamorphous crystalline問題は科学と宗教にまたがっているので、ひょっとしたら、両側面同時決着は無い事柄なのかもしれない。また、むしろその方が議論が進むのかもしれない。つまり、宗教が科学に直感と希少体験談を提供し、科学が宗教に理論と実験結果を提供する。そういった形が上手く取れるとき、こういった問題に進展が見られ、Questが進むのかもしれない。・・・同じ悩みは、科学と宗教の両バックボーンを持つフランシスコ教皇も?…。

20210924追記:長くなるので別立てコラムにした。コラム288「a co-produced naive reality? (共作素朴現実?)」をご覧下さい。