分科会2018#1「社会規範の拡張」記録メモ(20180317)

表記を、~archivesの「勉強会」の欄にアップしました。

【更新 20180619】: 資料を、当日配布と後日配布、併せて以下に載せておきます。
1.当日配布:「社会規範の拡張、Is justice enough?」

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2.当日配布:「Justice as Fairnessの具体的な問題点や、それに伴う新たな様々な潮流」

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3.後日配布:分科会2018#1「社会規範の拡張」記録メモ

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分科会 2018#2 開催通知

開催通知

分科会 2018#2「倫理改革」は、左記:カトリック社会教説における主権者(sovereign)の変遷 —「主権者が替われば倫理も変わる」、をテーマにして開催します。

1891年に始まったカトリック社会教説が、主権者(sovereign)は誰であるとして捉えていくのか、その変遷を時代を追って七つの回勅論文から拾い出します。民主主義を抑圧していた19世紀末から150年かけて、民主主義の熱烈なchampion(擁護者)と変わっていく過程を追います。その過程でカトリック社会教説は、社会をthe public sphere(非国家領域)とpublic sphere(国家領域)の「重なり合う和集合」として捉えていくようになります。

この過程の結果、新たな倫理観(morality)として徳倫理(virtue ethics)が重要となってくることが、2016年のPope Francis回勅Amoris Laetitia(邦題:愛のよろこび)で説かれます。分科会 2018#2では、この徳倫理(virtue ethics)を、public sphere(国家領域)の倫理である功利主義倫理(utilitarian ethics)と「主体」「法廷」「葛藤」「原則」が異なることを比較して説明します。

~archivesの「勉強会」の欄に、分科会 2018#2の配付資料をアップしました。参加ご希望の方は、資料をダウンロードし良く読んだ上、参加の旨を私(齋藤旬)まで通知してご参加ください。

追記 20180412:当日のプレゼン用パワポも、~archivesの「資料・グラフ」の欄にアップしました。参照リンクが使えます。参加を検討される方はこちらもご覧ください。

日時2018年5月19日土曜日 13:30-15:30
場所東京都 新宿区 信濃町 33 -4 カトリック真生会館 1Fホール
テーマ倫理改革 カトリック社会教説における 主権者(sovereign)の変遷
—「主権者が替われば倫理も変わる」

IRS IBD 2013発行を受けてグラフを更新

米国産業利益の半分はpartnershipが稼得

米国IRS SOIが、IBD Table1を2013dataまでupdateしていました。これに合わせてグラフを幾つかupdateし~archivesの「資料・グラフ」にアップしました。相変わらず、米国産業利益の半分はpartnershipが生み出していますし、費用対効果においてpartnershipはcorporateの約2倍の12%程度を示しています。

分科会 2018#1 開催通知

 今年は、左記勉強会のうち赤枠で示した「分科会」の講師を担当することになりました。奇数月第三土曜日の午後、全五回/2018年、年間テーマ「教皇フランシスコの思想の核心:Justiceだけでは足りない」。

第一回は、テーマ「社会規範の拡張」を取り上げます。1980年に当時の教皇ヨハネ・パウロ二世が出した「Is justice enough?」(正義で足りるのか?)という質問に、現在のローマ教皇フランシスコがどう答えるのか、そして、どの様な考えの下にそう答えるのか、ひもといていきます。

~archivesの「勉強会」の欄に、開催通知と第一回配付資料をアップしました。参加ご希望の方は、資料をダウンロードし良く読んだ上、参加の旨を私(齋藤旬)まで通知してご参加ください。

日時2018年3月17日土曜日 13:30-15:30
場所東京都 新宿区 信濃町 33 -4 カトリック真生会館 1Fホール
テーマ社会規範の拡張 Is justice enough?

2018 Davos会議 冒頭挨拶 教皇フランシスコ

表記資料を~archivesの「半訳」にアップしました。Stiglitzの2017年注目論文:Markets, States and Institutionsを参照し、その論旨:「国家(States)と市場(Markets)という枠組み内の制度整備(institutional arrangement)では納まりきらない経済文化圏がemerge(唐突に顕在化)してきており、そこへのundersupplyにより格差が拡大している。従来型、あるいはWashington Consensusに沿った“improve markets” and “increase resources”ではこの問題を解決出来ない。」を踏まえて、カトリックとしての現状把握と対処法の骨子:「the human personのdignityをsafeguardすること」を述べています。

freedomの本質を巡るlibertarianismとdistributismとのbattle

表記資料を~archivesの「半訳」にアップしました。先週、「freedomに制限を与えるmoral responsibilityを、重視するdistributismと重視しないlibertarianismの違い、に改めて気付きました。この説明には、二つの「ism」について説明が必要になるので、それはまた別の機会にします。」と書いたのですが、これに関し簡潔な説明を見つけました。distributismに関する2015年発刊の最新教科書:Catholic Economics — Alternatives to the Jungleです。この中の第15章第二項:Freedom、を半訳しました。この教科書全体も、おいおい半訳していきます。

Bitcoinの本質を巡る三つ巴の闘い

表記資料を~archivesの「半訳」にアップしました。The New Radicalというドキュメンタリー映画が昨年11月にSundance賞を受賞し、speech:Battle for the soul of Bitcoin(Bitcoinの本質を巡る三つ巴の闘い)を映画監督が行いました。この半訳です。感じたことは二つ。一つは、Bitcoin創成の現在進行中Battleの壮絶さ。この壮絶さを知らない日本人は、決してBitcoin等に手を出してはならない。手を出せば、今回のコインチェック事件のように手酷い目に遭う、ということ。もう一つは、このspeechに直接は出てこないのですが、「freedomの本質を巡るlibertarianismとdistributismとのbattle」といったような事柄。freedomに制限を与えるmoral responsibilityを、重視するdistributismと重視しないlibertarianismの違い、に改めて気付きました。この説明には、二つの「ism」について説明が必要になるので、それはまた別の機会にします。

コラム243 「律法全体はこの二つの掟に基づいている」

~archivesのコラム欄に「律法全体はこの二つの掟に基づいている」をアップしました。the public sphereの社会公理系の起源について述べてみました。また、ライプニッツによる「共通善」の定義も載せておきました。「human understanding(人知、人間知性)を超越しながらもeach personによるdiscernmentによってcommonにsenseできる「善」の概念」。これはツーソン会議の参加者などに浸透した定義です。共通善の定義は、WikipediaにThe concept of the common good differs significantly among philosophical doctrines.[1] とあることからも分かるとおり実に様々ですが、このライプニッツによる定義が私には一番シックリきます。