量子コンピュータの「個体差」あるいは「個性」

量子情報技術研究会第40回に行ってきた。九州大学二泊三日。退職後の醍醐味の一つ。心行くまで知りたいことを知るために時間を使える。

懇親会で偶々知り合った或る発表者の「出力乱数の性質からみた量子コンピュータの現状」が面白かった。研究者向けに公開されているIBMの超伝導型量子コンピュータ(IBM 20Q Tokyo)の20個のqubitの一つ一つの「個性」を調べていた。

一般には、もつれ状態にあるqubitは (|0>+|1>)/√2 という状態にあり、観測によってもつれが解けてcollapse(収縮)したあとは確率50%50%で”0”か”1”の値をとる、と考えられている。しかしIBM 20Q Tokyoで実際に2ヶ月間何億回も各qubitを自由に収縮させ観測すると、20個の内16個のqubitが、有意にどちらかに偏って収縮しているという実験結果が得られた。確率50%50%ではなかった。即ち”0″に収縮しやすいqubitだったり、”1″に収縮しやすいqubitだったりする方が普通だった。

古典コンピュータに個体差は無い。つまり同一の問題を同一のプログラムで解く場合、同一仕様でハードが違っても解答が得られるまでの所要時間に違いは出てこない。だから、現在のパソコンは同一仕様の「定価販売」が可能になる。(ただし、誤り訂正に時間をとられると話は違ってくる。そういった「個体差」は古典コンピュータにもあるが、誤り欠陥はごく僅かなので「定価販売」が出来る。)

しかし量子コンピュータは、本質的に「個体差」を持つということが示唆される。同一仕様でも一個一個異なる。即ち或る個体は或る問題を解くのが得意だったり苦手だったりする、ということ。人間の直感は、量子コンピュータの様な動きで生まれているのではないか、ということを改めて考えさせられる。つまり、何かの問題を与えられたときピンと来る人はピンとくるがピンと来ない人はピンと来ないということ。面白かった。

(依然として、実験観測者の個性が反映しているのか、使用した量子コンピュータの個性が反映しているのか、という問題は残っている。これは、有名な解釈問題:対象に依存したrealityに収縮するのか、観測者に依存したrealityに収縮するのか、と関連が深いかも。だとすると超難題。)

他にも「非直交量子状態の完全識別」という話題で2,3件発表があった。こちらは量子脳理論やキリスト教で言う所のdiscernibilityと関連があるかも、と私の妄想(?)は勝手に膨らんだ。これについては機会があったら詳しく述べるつもり。

トウモロコシ

トウモロコシを植えた。種を直まきすると鳥に食べられてしまうというので苗床で育ててから植えた。アワノメイガという虫に食われやすいらしい。はてさてどうなるか。左端は例年通りミニトマトを植えてみた。こちらは上手くいくと思う。

区民農園 枝豆を植えた。

区民農園の抽選に当たりました。約10平米の畑。右の畝にマルチを敷いたあと早生枝豆を植えました。早生枝豆は自宅で育苗してみました。左の畝に2週間前、極早生枝豆を直まきしたのですが未だ芽が出てこない。ちょっと心配。

クラウス・シュワブ著『Shaping the Fourth Industrial Revolution』

『第四次産業革命をどの様な「形」にするのか』クラウス・シュワブ著
ザッと内容紹介をすると:

冒頭で:「岐路に立つ私たちに課せられた応答責任(resonsibility)はとても大きい。即ち、確かにこの機会にnew technologiesの形を、共通善をpromoteし、human dignityを高め、環境を保護する形に作りだすことは可能だ。しかし言い換えれば、もしこの絶好の機会を逃せば、現在の過酷な状況は悪化の一途をたどり、私利私欲とシステムの歪みが格差を更に拡大し、結果、あらゆるcountryで the rights of people(peopleとしての諸権利)がないがしろにされるのがほぼ確実となってしまう。」

更に:「第四次産業革命がもたらす恩恵を活用するには、次々と生まれる新技術達を、私達の意識下で完全にcontrolできる「単なるツール」と見なしてはい けない。かといって、それが進む先を私達が手引きできない外力と見なすべ きでもない。そうではなく、新しい技術のどこにどうやってhuman values(人間の価値観)を組み込むのか、組み込んだ上で更に、どのように形作ればthe common good(共通善)のためになるのか、environmental stewardshipを推進できるのか、human dignity (人間の尊厳)を尊重できるのか、これらをunderstandする必要がある。」
「今日の先端技術が2世代あるいは3世代かけて成熟した時、私たちの子孫は振り返ってどう思うだろうか。equity (衡平)、尊厳、共通善を尊重する技術開発をしてくれてよかったと私たちに感謝するだろうか。それとも、なぜそうする絶好の機会を逃したのだと、私たちの失敗を嘆くだろうか。」と述べ、

結語で:「もし私たちが主体的に自らの勇気を使い、共通善のために行動することが出来るならば、この先も人類はwell-beingと発展の軌跡を更新し続けられるはずだ。希望は十分にある。過去も現在も産業革命は、人類に進歩と豊かさをもたらしてきているが、その一方で環境破壊や広がるばかりの格差など負の外部性も生起し続けている。昔も今も、その解決は私たちの手に委ねられている。そして行く手(第四次産業革命)にも手強い課題が待ち受けている。即ち、どの様にして、技術の大変革がもたらす恩恵を分配するのか、必然的に生じる外部性を抑制するのか、そしてどうすれば、次々と生まれる先端技術を、私達人類の運命を決めるものにするのではなく、むしろ私達をempowerさせるものにできるのか。これら中心的課題の克服は、細大漏らさず全ての関連ステークホルダーが関わることで、大きく進むはずだ。」と述べています。

他の要所(共通善に言及した九箇所)の内容も~archivesの半訳に載せておきました。読後「ますますフランシスコ教皇とシュワブのタッグが強固となった」との印象を持ちました。

追記(20190402):第三段落を追加しました。
追記(20190407):第三段落を補強しました。
追記(20190415):連想せずにはいられない「未来への祈り」 (ダン・ブラウン『オリジン』)を付記

未来への祈り:
願わくは、我らの思想がテクノロジーに後れをとらぬことを。
願わくは、我らの情熱が支配力に後れをとらぬことを。
願わくは、恐怖ではなく愛が変化の源たらんことを。
そして敢えて言いましょう… 神のご加護を。