amorphous crystalline論争は、量子コンピュータ実証実験(コラム267)により決着していると私は思うが、保守派からの反発はまだ続くかもしれない。
例えば、保守派が勢力を持つ米カトリック司教団と米国聖公会が1999年に出した文書に、”The gift of communion from God is not an amorphous reality but an organic unity that requires a canonical form of expression”.(神からのcommunionの賜りはan amorphous realityではない。それはa canonical formで必ず表現されるan organic unityである。)とあったのをみつけた。
”amorphous reality” +”pope francis”でググると、フランシスコ教皇がan amorphous realityについて言及しているサイトを多数見つけることが出来るが、上記の様な「保守派からの反論」も多数見つかる。
この件に関しては科学的には一応の決着を迎えたと思うが、反論は常に歓迎される。
ただこの件(科学的な一応の決着)に関しては、今後は両意見の間で、教皇の言うdialogue with scienceが進むことを期待したい。つまり双方が、explicit specification of conceptualization(概念の明示的仕様)を提示し合う努力を続けるなかで、議論を進めていって欲しい。でないと、反証を提示することも反証を検証することもできず、科学の側面からは議論が先へ進まない。
私達がその中にexistしていると感じている、この a tangible and visible realityを含むrealityの全容の解明に、見果てぬ夢かと思いつつも希望を持ってchallengeする。宗教も科学もアプローチの仕方は違えどこの目的を共有している。お互いの方法を尊重し合って解明を進めたい。
20210922追記:私自身が科学者と宗教者の両側面を持つので推敲に時間がかかっている。このamorphous crystalline問題は科学と宗教にまたがっているので、ひょっとしたら、両側面同時決着は無い事柄なのかもしれない。また、むしろその方が議論が進むのかもしれない。つまり、宗教が科学に直感と希少体験談を提供し、科学が宗教に理論と実験結果を提供する。そういった形が上手く取れるとき、こういった問題に進展が見られ、Questが進むのかもしれない。・・・同じ悩みは、科学と宗教の両バックボーンを持つフランシスコ教皇も?…。
20210924追記:長くなるので別立てコラムにした。コラム288「a co-produced naive reality? (共作素朴現実?)」をご覧下さい。