更にコラム307「自然数だけでなく実数全体が二乗値としてbeingしているのではないか」の続き。
前回コラム308では、実数 x の量子状態ベクトル |x>は、その実数関連部分を抽出して、複素平面上で半径をxとする円( つまり xeiθ )として表すことが出来るのでは、と考えた。
勿論、量子の全貌は、少なくとも今の人間の力ではconceive出来ない。だから、実数 x の量子状態ベクトル |x>を xeiθとして捉えてみるというのは、「便宜上の表式」あるいは「 |x>が実数 x として私達の前に(あるいは意識の中に)波束の収束を起こす部分に限った話」だ。
けれどもこの「便宜上の表式」は、標題に記したようなチョット面白いことを想起させる。どういうことかというと…。
いま、 |x>に左から演算すると実数 x を返す実数演算子Xというものを定義してみる。即ち
X |x> = x |x>
である。さらに量子論の公理系から、
X |x> = Σ k番目の固有値・k番目の固有ベクトル
と、X によって |x>がスペクトル分解できることが分かる。
スペクトル分解の上式を、先程の「 |x>が実数 x として私達の前に(あるいは意識の中に)波束の収束を起こす部分は xeiθと置くことができる」というのと並べて見比べてみる。すると、|x> はXを演算されることによって一つだけの固有値 x と一つだけの固有ベクトルeiθ を持つ、ということが浮かび上がってくる。式で表せば、
X |x> = xeiθ
ということ。
ここまで「そうだ」と思ってくれれば、あとは、Bornの確率規則により、
|x>が固有値 xに向かって「波束の収縮」を起こす確率
= || 対応する固有ベクトル ||2
= (e-iθeiθの平方根 )2
= 1
以上により、「実数 x の量子状態ベクトル|x>が、実数 として私達の前に(あるいは意識の中に)波束の収縮を起こすとき、確率100%で、実数 x が現れる。」と想定できる。
もしこれが本当なら、「実数x の、ヒルベルト空間におけるsubstance(実体、本体、本質)は、量子状態ベクトル |x>、あるいはその実数関連部分を抽出して xeiθである」ということが、「人間には杳(よう)として知れぬ」というのが、当然のこととなる。
つまりこれは「本当かどうか証明できない」。また、それ以前に「こんなこと思いつきもしない。疑問が湧かないから、証明する必要も無い」。
量子論のことばで説明すると、ある可観測量について固有ベクトルと固有値の組を複数もつ量子が背後にあるならば、複数回の観測をするとその可観測量の値(あたい)がばらつき、「測定精度が悪いのか、それとももっと根本的な問題か???」と疑問が湧く。けれども、ある可観測量について固有ベクトルと固有値の組を一つしか持たない量子が背後にあるときは、何度観測してもその可観測量の値(あたい)が(測定精度が悪くないのであれば)一つの確定値となり、「何か見落としているのかな?」という疑問が湧いてこない。
今の場合でいうと、実数で表現されるa naive realityにいる人間(a human existence)が、或る実数 x を「想起」しようとすると、その実数 x の起源である実数量子が実数 x に対し固有ベクトルと固有値の組を「eiθと x 」という具合に一つしか持たないので、何度「想起」してもその実数の値が常に一つの確定値 x に「波束の収縮」をする。「背後があるかも」なんて思いもしない。疑問の余地が無い。
恐らく本当。でも、受け入れるなら「公理」として受け入れるしかない、のだろう…。きっと…。