これまで8年間、フランシスコ教皇の思想を学んできた真生会館「学び合いの会」分科会、この名称を、scire voloの会と変更して、引き続き、進歩派カトリックの社会思想を学んでいく。
scireは「知識」を、voloは「私はナニナニを欲す」を、scire voloは「私は知識を欲する」つまり「私は知りたい」を意味するラテン語。またscireは、scienceあるいはscientistの語源でもある。
scientist(科学者)は、無冠詞realityに対し様々な実験をして現象を観測し、その観測結果を説明できるように「原理」を仮定し「理論」を演繹する。もし仮に「真理」というものが、これら行為の外側、手の届かないところにあるならば、これらの行為は「真理」に近づくものではない。
私個人としては、これら科学者の行為が「真理」に近づくものであって欲しいと思うが、「真理」の奥深さは、私達の力の及ぶものではないのかもしれない。「真理」という言葉を軽々に使ってはいけないと科学者は考える。scienceはあくまで、無冠詞realityに関するscire(知識)を得るための行為であって、「真理」を得るための行為とまでは言えないのかもしれない。
この様な畏怖(awe)をもって、進歩派カトリックの社会思想を学んでいきたい。
20241222追記:scire voloの読みを「サイレ・ヴォロ」とすることにした。voloは、voluntaryあるいはvolunteerの語源でもあるので、こう読むことで「私は自発的にサイエンスがしたい」というニュアンスが出ると思う。