月別アーカイブ: 2022年9月

clm.305:その片鱗を私は見た

現行経済は、ある程度楽しかったかもしれない。でも、その百倍いや千倍楽しい新たな経済が、確かにある。

私はその片鱗を、新たなLLCが雨後の竹の子のように現れる1990年代のシリコンバレーで垣間見た。いや、つぶさに見た。

早朝の夢の中で、30年前出張の帰りにサンフランシスコ空港の土産物店で購入した左掲マップが鮮明にイメージされた。あのときのワクワク感を記憶更新しようと思い立ち、記事にした。

20220927追記:innovationは予定調和では起こらない。だからformal economyでなくinformal economyの中でのみ起こる。

clm.304:co-sovereignty(拮抗併存主権)

昨日紹介したco-sovereign(拮抗併存主権者)という新概念の出典を見つけた。左掲論文集:Nonprofits and Government: Collaboration and Conflictの第四論文「Tax Treatment of Nonprofit Organizations — A Two-Edged Sword?」 Evelyn Brody and Joseph J. Cordes。(目次はここ

なお本書は和訳本が、2007年ミネルヴァ書房から出版されている。(ここ、ただし原英文初版(1999年)の和訳。第二版(2006年)、第三版(2016年)の和訳は未完。)

原英文の中のco-sovereigntyという用語が出てくる部分は、Google Booksで以下の様に読むことができる。半訳して掲載する。

税免除が或る種の助成を表したものであったとしても、やはりそれは曖昧で不十分な助成を生み出すに過ぎない。しかし興味深いことに、この様な非営利セクター税優遇は、国家および地方政府が持つsovereignty(主権)に関する連邦税制ルールに似ている。JCT [1996](米上下両院税制合同委員会1996)でさえ、非営利、国家、地方政府を、併記すること無しに一括して扱っていた。また、the federal income taxでは、「全てのpublic utility(公共的効用)即ち全ての基幹的政府機能行使から導出される所得、あるいは、州または州下部政治機関における発生金額」(IRC sec. 115(a))を、gross income(税引前所得)から除外している。州および地方自治体が資金を得ようとして債券を発行する場合、その利息は債券保有者において税免除の対象となるのが一般的である。国家への支払金、および、地方所得税と地方資産税としての支払金は、連邦課税所得額から控除される。ただし、それら行政機関のサービスのuserとしての使用料は、連邦課税所得控除の対象とはされない。また既に記したように、これらinter-government tax一つ一つはその都度、慈善活動の税優遇に類似して優遇される。非営利セクターは、the public sectorが持つco-sovereignty(拮抗併存主権)を真に享受している、という強い主張は確かに誰もしないだろう。なぜなら、非営利セクターには主権者が本来持つ強制力・強制執行権が欠落しているのだから。しかしながら、この様なtax frameworkには、非営利セクターをinviolate(神聖不可侵)なself-governing(自治)に委ねようという感覚が伴っている。と同時にgenerally obligating charities(一般宗教的義務としての慈善)を、政府に助成金を請願する手間から遠ざけようとする感覚も伴っている(Colinvaux第六論文参照方)。

20220923追記:「全てのpublic utility(公共的効用)即ち全ての基幹的政府機能行使から導出される所得」と和訳を訂正した。無冠詞publicはgovermentalを指し示し、the publicはnon-profit sectorを指し示しているという対比が上掲パラグラフの背景にある。このことが明確になるようにした。

clm.303:co-sovereign(拮抗併存主権者)

Tax and Government in the 21st Centuryつい先日、読みたい本がまた出版された。Tax and Government in the 21st Century, Cambridge Univ. Press,  Miranda Stewart著。特にその第8章「Tax, Charities, and Philanthropy」はとても読みたい。その概要を半訳しておく。

Summary of chapter 8, Tax, Charities, and Philanthropy
Tax law constitutes the boundaries of charities, the market and the state in a ‘jumbled mixed economy’.  Charities are a subset of the broader not-for-profit sector, sometimes called the ‘third sector’ to distinguish it from the market and the state.   The charitable tax exemption discussed here sets the border of the tax state with the charitable sector, while its political, or ethical, justification recognises, as Evelyn Brody suggests, that charities are in a sense ‘co-sovereign’ with the state.2

第8章「Tax, Charities, and Philanthropy」概要
租税法は、(訳補:本来は境界がハッキリしない)a ‘jumbled mixed economy’(ごった混ぜ経済、出典1)の中に、charities, the market and the state(慈善経済、市場経済、国家経済)の区分境界を設定しようとする。 charitiesは、より広いnot-for-profit sectorの部分集合の一つであり、時にはこのnot-for-profit sectorが第三セクターと呼ばれ、市場セクターとも国家セクターとも異なるものとして区分される場合もある。従ってここで議論されるthe charitable tax exemption(慈善活動税免除)は、Evelyn Brody が指摘するように、its political, or ethical, justificationが、charities are in a sense ‘co-sovereign’ with the state(或る意味、慈善活動は国家に並ぶ‘co-sovereign’(拮抗併存主権者)である。出典2)と認める一方で、他方ではthe charitable sector(慈善セクター)にthe tax state(徴税権を持つ租税国家)としてのborder(国境)を設定していることになる。

20220921追記:co-sovereignの和訳を「拮抗併存主権者」に変更した。

peripheral labor, labor peripheralsとは何か

フランシスコ教皇の言うperipheral labor, labor peripheralsとは何か、調べていったところこの論文集:Peripheral Labour: Studies in the History of Partial Proletarianization (International Review of Social History Supplements, Series Number 4) Cambridge University Press, 2008年、にあたった。文章を幾つか半訳しておく。

1)本のdescription:
This volume takes an alternative look at the notion of ‘wage-workers’. The contributors suggest that the idea of a ‘pure’ working class should be reconsidered and examine specific South Asian and Latin American case studies. A large part of the working class in the so-called third world and also in the main capitalist countries is either free (but coerced through non-economic means) or does hidden work labor e.g. as formally self-employed producers. By rethinking the fundamental assumptions of ‘classical’ labor and working-class history, the volume contributes to the development of a non-Eurocentric historiography.

本書は’wage-workers’概念について旧来定義に代わる見方を採用する。本著者達は、「純粋」労働者階級というアイデアは再考されなければならないと考え、南アジアと中南米(Latin America)について幾つかの特定case studiesを行った。所謂第三世界において、また主要資本主義諸国においても、大部分の労働者階級は、free(ただし、非経済的手段によって強制されている)か、あるいは、例えば形式的な個人事業主としてhidden work laborを行っているか、のどちらかである。「古典的」laborおよび労働者階級の歴史という基本前提を再考することによって、非ヨーロッパ中心主義的な歴史科学の論理展開に、本書は貢献している。

2)本書1page、wage labourersの定義、Goetz Briefs(1889-1974。カトリック社会神学者。教皇ピオ11世1931年回勅Quadragesimo annoの基本思想を提供)による。:

a wage labourerはpersonally free、即ち、彼の形而下的およびspiritualなmoral powersは完全に彼自身の意のままにすることができる。中略。しかしながら彼はno property、即ち、資本に対抗できるexclusive material powerを、相対的恒常性のある安定基本財として持っていない。中略。彼は、生きていくための消費財ストックも、恒常的な資本利潤も、持っていない。中略。彼は、必要最低限の生活手段をeconomic returnsからのみ獲得するという経済環境の中で生きている。中略。彼は、必要最低限の生活手段を得るために、自らのpersonal capacitiesを経済的価値交換に供するよう強いられている。

3)本書とは別だが、教皇が多用するperipheryについて短く解説した文章を見つけた。

”The Concept of Periphery in Pope Francis’ Discourse” Abstract:
Since the beginning of his mandate, Pope Francis has used the concept of periphery as a metaphor of social marginality. However, the notion of periphery also seems to target the asymmetries generated by the liberal version of globalization. Pope Francis’ narrative has to be read in the broader context of the relation between religions and globalization. That interaction is usually conceptualized in terms of religions capitalizing on global “vectors”, such as new information and communication technologies, processes of political and institutional integration, shared cultural patterns, transnational phenomena and organizations. An alternative way to analyze the role of religions consists in considering them as agencies defending the perspective of a universal community, putting into question the national political boundaries and contesting the existing global order. Understood in those terms, the concept of periphery reveals to be a powerful rhetoric device, insofar as it suggests that it is possible to get a wider perspective of the current state of the world looking form the edge rather than from the center.

「フランシスコ教皇の言説に現れるperipheryコンセプトについて」アブストラクト:
フランシスコ教皇は教導開始以来、periphery(辺境、周辺)というコンセプトを、社会辺境部のたとえとして使い続けている。更に言えばperipheryという概念の矛先を、the liberal version of globalizationによって生じる非対称性に向けているようである。フランシスコ教皇の話す物語は、religionsとglobalizationとの相互関係性という広い文脈において読み解かれる必要がある。この相互関係性は通常、religionsの持つglobal “vectors”(訳註:全方位性)という利点を活用する、という観点から概念化される。それは例えば、新たな情報通信技術、政治的・制度的な高次統合プロセス、共有化される文化パターン、脱国家的な現象および有機組織体、などである。religionsのこういった役目を分析するには従来とは代わった方法が必要である。それはreligionsを、普遍共同体の視点を防衛し、政治的国境に疑問符をつけ、既存の世界秩序に反論を投げかける、agenciesと見なすというものである。この様に理解すれば、periphery(辺境、周辺)というコンセプトは、この形而下地上世界の現状を中心から見るよりも辺縁から見た方が比較的広く展望できると示唆される限りにおいて、a powerful rhetoric deviceとなって立ち現れるのである。

economic substanceとinformal economy

先の、substance(本質)とform(形)のイメージ図は、下図のイメージに繫がる。肝心なことを書き忘れていた。(^_^;)

※)注意点:形骸化したformal economy、drugやtraffic exchangeを扱うinformal economy、これらはeconomic substanceを持たないだろう。形而下界に現れたeconomyが全て、economic substanceを持つわけではない。

20220908追記)「form(形)があってもsubstance(本質)がないものがある」「form(形)がなくてもsubstance(本質)があるものがある」と気付くことが要点。

20220924追記)from it to bit. それは量子論の潮流でもある。