clm.256:新たな「宗教」としての科学が生まれる予兆か

劉慈欣 著『三体』『三体Ⅱ 黒暗森林』を読んで、私は表記の様に感じた。要点を記しておく。

二千年前パレスチナ。古代ローマ帝国 ― 統治機構に人類史上初めて貨幣経済と租税を組み込んだ「暴力装置」 ― がユダヤ人社会に襲いかかった。

それ以前、つまり人類が貨幣経済と租税を統治機構に組み込む前。西暦紀元前のエジプト、アッシリア、バビロニアと幾つもの大国からの侵略を、則ち役務の強要(奴隷化)を、はねつけたユダヤ人達。しかし、その強固な宗教法をもってしても、貨幣経済と租税という新たな「苛烈」を伴った暴力装置に対しては無力だった。大国への隷従はユダヤ宗教法が禁ずることだが、古代ローマ帝国に税金を納めざるを得なかった。

対抗しうる社会思想を持たないユダヤ人達は、当然、古代ローマ帝国の暴虐に苦しんだ。(この辺り、レザー・アスラン著『Zealot』参照方)

そこでユダヤ人達(の一部)は、ユダヤ教の持つ「固定的宗教法」を廃し、「神を愛し人を愛せ」(マタイ22:34~40)のみを社会公理とする「キリスト教」を編み出した。貨幣経済と租税を組み込んだ統治機構、則ち「国家」という地上権威に対抗するために、柔軟に宗教法を変更し国家に対する「治外法権」を獲得できる、新たな宗教権威を編み出した。

…これと同様なことが、かつて文化大革命(1966-1976)に苦しみ、そして今も中国共産党一党独裁に苦しむ、中国の人々に起きた/起こりつつあるのではないか…。

・・・そんなことを、劉慈欣 著『三体』『三体Ⅱ 黒暗森林』を読んで私は感じた。

ただ、ここで中国社会に新たに導入されるのは、キリスト教ではない。もちろん、キリスト教が導入される条件は整っているだろうが、それよりもキリスト教が二千年かけて生み出した「科学」、特に、「clm.255:量子論の五つの公理」で説明した様に、高次元空間の存在を「公理」とする「最新科学」が、中国の一般の人々に広く受け入れられつつあるのではないか。そんなことを感じた。

長くなるので、最後は、村上陽一郎『奇跡を考える 科学と宗教』の講談社学術文庫版にある、補遺「科学が宗教になる」の結語(181頁)を転記しておく。

十八世紀以降のヨーロッパが、人間を超える存在、その至高の形態が宗教(キリスト教)における神ということになるが、そうした存在を否定し、すべての根拠を「人間」に帰する、というイデオロギーを、誇らしげに打ち立て、かつそれを実践してきた。ただし、それに逆らう唯一のものが存在した。それが科学である。つまり科学は、人間にはどうにもならないもの、人間を根拠にできない唯一のものとして、社会の中に座を得た。「ヨーロッパ近代では、科学が神の代替物となった」というような言説が、しばしば聞かれるのも、故なきことではない。

…現代の中国において、二千年前のパレスチナにおけるキリスト教の発生、十八世紀以降のヨーロッパにおける科学の発生、これら二つに類似する事柄が、同時に一気に起こっているのではないか。そんな気がする…。