clm.261:conscientist、共にサイエンスする者

フランシスコ教皇は2015年、エコロジーに関する回勅Laudato Si’を出版した。この科学面でのアドバイザーの一人となったドイツの大気物理学者シェルンフーバーが、英語(ないしドイツ語)ならではの「新語」を作っていた。文献渉猟していて見つけたので、メモしておく。

それは、conscientist(英語)、Gewissenschaftler (ドイツ語)。ナニナニと共にサイエンスする者、といった意味。その元は、conscience、Gewissen、則ち、日本語で「良心」と和訳された概念。

しかしながら、この「良心」という和訳、良くない。これは、人間誰しもの心の底にあるとする「良き心」(性善説)のことだが、西洋語conscience、Gewissenはニュアンスが異なる。それは、born-good(性善説)でもborn-evil(性悪説)でもない。

元の英語conscience、元のドイツ語Gewissen、両者とも、語源的にみれば「共に知る」あるいは「共にサイエンスする」という意味。conやGeは「共に」、scienceやWissenは「知る」あるいは「サイエンスする」という意味。(江口再起『ルターと宗教改革500年』119頁等参照方)

誰と「共に」か? もうお分かりと思うが、キリスト教文化が根づいた西洋では、それは神。神と共に「知る」ないし「サイエンス」すれば、良・善・真に至るとの考えが西洋にはある/あった。つまり、人間に最初から良心が備わっているのではない。流石に現代一般西洋人が「神」を持ち出すことは最早多くはないが、とにかく、キチンと「知る」ないし「サイエンス」していけば「良・善・真」に辿(たど)り着く、と西洋では考えられている。

西洋におけるこの様な概念形成過程のもとに、シェルンフーバーは新語(conscientist、Gewissenshaftler)を作った。シェルンフーバー発言のその部分を転記しておく。

英語:But as a scientist, I also am a ‘conscientist’ – I see it as my responsibility to not only share our knowledge with other researchers but with everyone who will be be affected by the impacts of climate change in the end – and in whose power it lies to stop it.

ドイツ語:Aber als Wissenschaftler bin ich auch Gewissenschaftler – ich sehe mich in der Verantwortung, nicht bloß mit anderen Forschern unsere Erkenntnisse zu teilen. Sondern mit all jenen, die von den Folgen des Klimawandels am Ende betroffen sein werden. Und in deren Macht es steht, ihn zu stoppen.

半訳:ただ単にa scientistであるだけでなく、私(シェルンフーバー)はa ‘conscientist’ でもあるのです。則ち、私達気候変動学者達の知識を、他の研究者と共有するだけでなく、気候変動の悪影響を将来において受ける全ての人達と、つまり、気候変動をとめる力を持ちうる全ての人達と、共有することが、私のresponsibility(応答責任)だと感じているのです。

・・・先先回コラム259で、freedomとは、人それぞれが持つ良心(conscience)が示す範囲の「自由」、と説明した。これでは、freedom概念を十分に説明したことになっていなかった。より正しくは、freedomとは、人それぞれが持つconscience(共にサイエンスする心)が示す範囲の「自由」、とすべきだった。

繰りかえすが、人間に最初から良心が備わっているのではない。キチンと「知る」ないし「サイエンス」していけば「良・善・真」に辿(たど)り着くと西洋(の或る人達)は考えている。

20201219 追記:コラム259にあるconscience の和訳を,一般的な「良心」でなく「共科学心」と訂正してみた。