clm.259:学問の自由はacademic freedom。academic libertyではない。

当ブログの読者には、標題だけで既に、私の言わんとしていることはお分かりだろう。日本学術会議の新候補六名が、政府によって拒否された件。これに関する議論が噛み合っていない。ここは基本に立ち返って、freedomとlibertyの違いをキチンと理解することから始めては如何か、という提案だ。

左掲は、1946年のGHQ憲法草案の一部。この憲法草案にはfreedomが7回出てくるのだがその内の6回の箇所。中程に、Article XXII. Academic freedom and choice of occupation are guaranteed.とある。日本の現行憲法23条「学問の自由はこれを保障する」の原英文がこれ。「学問の自由」と和訳された元の英語が、academic freedomであることが分かる。

また、GHQ憲法草案には、liberrtyが3回出てくる。これら三つのlibertyと七つのfreedomが、日本の現行憲法では「自由」と和訳されている。同じ意味と解されている。しかし、西洋「両権社会」において、libertyとfreedomは異なる意味を持っている。libertyは、国家が定める法律が許す範囲の「自由」であり、freedomは、人それそれの良心共科学心(conscience)が示す範囲の「自由」だ。

まずはこの、74年前に日本人全員に課された宿題、つまり、社会基本法に関する英文解釈という宿題にキチンと取り組むのが、日本学術会議問題に関し実のある議論を始めるための第一歩だと思うのだが….。

20201219 追記:コラム261「conscientist、共にサイエンスする者」を受けて、conscienceの和訳を一般的な「良心」でなく「共科学心」と訂正してみた。